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内田樹の研究室から 5月3日付神奈川新聞掲載 [スズムシ日記]

内田君もっともっと遠吠えしてくださいな。ぼくらの代弁者としてです。朝日も毎日も最早樹君を敬遠してるのだろうね。憲法記念日に、樹君の意見を掲載しなさい。神奈川新聞というローカルなメディアが樹君へラブコールを送った図が愉快だ。そいうえば東京のローカル紙「東京新聞」もなかなか健闘している。近頃は新聞を取らない方が増えたようだ。スマホでちゃんと見られるのだね。でも、インクの匂いの新聞紙がいいんだよ。一枚一枚めくっていく輪転機の爪の後が破れとなっているのがね。味わいがあるよ。それを再利用して、袋にして焼き芋をいれたり、枇杷の袋かけにつかったり、ね。そうそう、オイラのこども時代は落とし紙としてつかったものだね。よ〜くもんで、軟らかくしてね。樹君の最近の対談本。よんでみなくちゃなるまい。みんな未読であります。

それでは久しぶりに樹君の健闘ぶりを紹介しましょう。「属国日本論」をです。

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2017.05.03

神奈川新聞のインタビュー

憲法記念日に神奈川新聞にロングインタビューが掲載された。いつもの話ではあるけれど、これを愚直に繰り返す以外に悪政を食い止める方途を思いつかない。

反骨は立ち上がる

いま日本で起きている絶望的なまでの「公人の劣化」は何に由来するのか。結論から言ってしまえば「日本はアメリカの属国でありながら、日本人がその事実を否認している」という事実に由来する。日本社会に蔓延している「異常な事態」の多くはそれによって説明可能である。

ニーチェによれば、弱者であるがゆえに欲望の実現を阻まれた者が、その不能と断念を、あたかもおのれの意思に基づく主体的な決断であるかのようにふるまうとき、人は「奴隷」になる。「主人の眼でものを見るようになった奴隷」が真の奴隷である。彼には自由人になるチャンスが訪れないからである。日本はアメリカの属国であり、国家主権を損なわれているが、その事実を他国による強制ではなく、「おのれの意思に基づく主体的な決断」であるかのように思いなすことでみずからを「真の属国」という地位に釘付けにしている。
日本が属国なのだと明確に認識したのは、鳩山由紀夫元首相が2009年に米軍普天間飛行場の移設を巡り「最低でも県外」と発言した際の政治と社会の反応を見たときだ。
鳩山氏は軍略上の重要性を失った日本国内の米軍基地を移転し、日本固有の国土の回復を求めただけである。首相として当然の主張をしたに過ぎない。だが、これに対して外務省も防衛省もメディアも猛然たる攻撃を加えた。その理由は「アメリカの『信頼』を損なうような人間に日本は委ねられない」というものだった。ニーチェの「奴隷」定義を援用するならば、宗主国の利益を優先的に配慮することが自国の国益を最大化する道だと信じる人々のことを「属国民」と呼ぶのである。

北朝鮮を巡る情勢が緊迫している。米国が北朝鮮に対し先制攻撃した場合、日本国内にミサイルが飛来して国民が死傷するリスクはある。だが、これを「アメリカがする戦争になぜ日本が巻き込まれなければならないのか」と憤る声はほとんど聞かれない。主権国家であれば、国土と国民を守ることをまず第一に考えるはずだが、日本政府は北東アジアの危機を高めているアメリカに一方的な支持を与えて、米国に軍事的挑発の自制を求めるという主権国家なら当然なすべきことをしていない。

「対米従属を通じて対米自立を達成する」という国家戦略は敗戦後の日本にとってそれ以外に選択肢のないものだった。ことの適否を争う余裕はないほど日本はひどい負け方をしたのである。そして、この国家戦略はその時点では合理的なものだった。徹底的な対米従属の成果として、日本は1951年のサンフランシスコ講和条約で国際法上の戦争状態を終わらせ、国家主権を回復した。68年には小笠原諸島、そして72年には沖縄の施政権が返還された。戦後27年間は「対米従属」は「対米自立」の果実を定期的にもたらしたのである。
だが、この成功体験に居ついたせいで、日本の政官は以後対米従属を自己目的化し、それがどのような成果をもたらすかを吟味する習慣を失ってしまった。沖縄返還以後45年で対米自立の成果はゼロである。米軍基地はそのまま国土を占拠し続け、基地を「治外法権」とする地位協定も改定されず、首都上空には米軍が管轄する横田空域が広がったままである。主権回復・国土回復という基本的な要求を日本は忘れたようである。
それどころか、対米自立が果たされないのは「対米従属が足りない」からだという倒錯的な思考にはまり込んで、「年次要望改革書」や日米合同委員会を通じて、アメリカから通告されるすべての要求を丸のみすることが国策「そのもの」になった。郵政民営化、労働者派遣法の改定、原発再稼働、TPP、防衛機密法の制定、PKOでの武器使用制限の見直しなど、国論を二分した政策は全部アメリカの要求が実現された。そして、わが国の国益よりもアメリカの指示の実現を優先する政権にアメリカは「同盟者」として高い評価を与え、それが属国政権の安定をもたらしている。

日本人は心のどこかで「属国であること」を深く恥じ、「主権の回復」を願っている。けれども、それは口に出されることがない。だから、その抑圧された屈辱感は病的な症候として現れる。安倍政権とその支持者たちの「かつて主権国家であった大日本帝国」に対する激しいノスタルジーは「主権のない戦後日本国」に対する屈辱感の裏返しである。けれども主権回復のための戦いを始めるためには、まず「日本は主権国家でなく、属国だ」という事実を受け入れるところから始めなければならないが、それはできない。痛苦な現実から目をそらしながら少しでも屈辱感を解除したいと思えば、「大日本帝国」の主権的なふるまいのうち「今でもアメリカが許諾してくれそうなもの」だけを選り出して、政策的に実現することくらいしかできることがない。それが対外的には韓国や中国に対する敵意や軽侮の表明であり、国内における人権の抑圧、言論の自由や集会結社の自由の制約である。だが、日本が隣国との敵対関係を加熱させることには宗主国アメリカから「いい加減にしろ」という制止が入った。米日中韓の連携強化は、トランプ政権のアメリカにとっても東アジア戦略上の急務だからである。やむなく、日本の指導層の抱え込んでいる「主権国家でないことの抑圧された屈辱感」は日本国民に「主権者でないことの屈辱感」を与えるというかたちで病的に解消されることになった
それが特定秘密保護法、集団的自衛権行使の閣議決定、安保法制、共謀罪と続く、一連の「人権剥奪」政策を駆動している心理である。

安倍政権の改憲への熱情もそれによって理解できる。憲法に底流する国民主権のアイディアはアメリカの統治理念そのものである。それを否定することで、対米屈辱は部分的に解消できる。そして政権担当者は「国民に対してだけは主権的にふるまう」ことで国家主権を持たない国の統治者であるストレスを部分的に解消できる。
自民党改憲草案は近代市民社会原理を全否定し、剥き出しの独裁政権を志向する病的な政治文書だが、それが全篇を通じて「決してアメリカを怒らせないような仕方で対米屈辱感を解消する」というねじれた政治目標に奉仕しているのだと思えば、理解できないことはない。

日本人に対して、私から言いたいことは「現実を直視しよう」ということに尽きる。国防についても、外交についても、エネルギーについても、食糧についても、基幹的な政策について日本は自己決定権を持ってないこと、国土を外国の軍隊に占拠されており、この状態がおそらく永久に続くこと、明治維新以来の悲願であったはずの「不平等条約の解消」という主権国家の基礎的目標を政治家たちが忘れたふりをしていること、海外の政治学者たちは特段の悪意もなく、日常的に「日本はアメリカの属国である」という前提で国際関係を論じていること、そういう事実を直視するところからしか話は始まらない。
この否定的現実をまず受け入れる。その上で、どうやって国家主権を回復するのか、衆知を集めてその手立てを考えてゆく。鳩山一郎や石橋湛山や吉田茂が国家的急務としていた問題をもう一度取り上げるということである。

日本が属国であることも、その事実を否定するために異常な人権抑圧が行われていることは沖縄や福島へ行けばわかる。現場に行けば政治家や官僚やメディアがどのように隠蔽しようとも痛ましい現実が露呈する。まずそこに立つこと。幻想から目を覚ますこと。それが日本国民のしなければならないことである。

日本ははっきり末期的局面にある。これから急激な人口減を迎え、生産年齢人口が激減し、経済活動は活気を失い、国際社会におけるプレゼンスも衰える。日本はこれから長期にわたる「後退戦」を戦わなければならない。
後退戦の要諦は、ひとりも脱落させず、仲間を守り、手持ちの有限の資源をできるだけ温存して、次世代に手渡すことにある。後退戦局面で、「起死回生の突撃」のような無謀な作戦を言い立てる人たちについてゆくことは自殺行為である。残念ながら、今の日本の政治指導層はこの「起死回生・一発大逆転」の夢を見ている。五輪だの万博だのカジノだのリニアだのというのは「家財一式を質に入れて賭場に向かう」ようなものである。後退戦において絶対に採用してはならないプランである。けれども、今の日本にはこの「起死回生の大ばくち」以外にはプランBもCもない。国として生き残るための代替案の案出のために知恵を絞ろうというひとが政官財の要路のどこにもいない。
だがそうした危機的現状にあって、冷静なまなざしで現実を眺め、自分たちが生き残るために、自分たちが受け継ぐはずの国民資源を今ここで食い散らすことに対して「ノー」を告げる人たちが若い世代からきっと出てくると私は思っている。
日本の人口はまだ1億2千万人ある。人口減は止められないが、それでもフランスやドイツよりははるかに多い人口をしばらくは維持できる。指導層の劣化は目を覆わんばかりだけれど、医療や教育や司法や行政の現場では、いまも多くの専門家が、専門家としての矜持を保って、私たちの集団を支えるために日々命を削るような働きをしている。彼らを支えなければならない。

後退戦の戦い方を私たちは知らない。経験がないからだ。けれども、困難な状況を生き延び、手持ちの資源を少しでも損なうことなく次世代の日本人に伝えるという仕事について私たちは好き嫌いを言える立場にはない。それは国民国家のメンバーの逃れることのできぬ義務だからである。


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魂の秘境から 朝日新聞 [スズムシ日記]

 水俣の苦しみを生涯にわたって追い続けている石牟礼道子さんの連載エッセイだ。苦海浄土に通ずる魂の秘境は熊本城の古の言い伝え。あの大地震で僅かの石組が城を支え続けている軽業状態はまさに奇跡だ。先人の堅牢な仕業に敬服するばかりだ。機械もない時代にだ。

 道子さんのエッセイを取り出そう。


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石の神 熊本城に宿る、不死の年月

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幼いころ、この世で一番えらいのは「セイショコさま」という神様だと思っていた。わたしを膝(ひざ)にのせて焼酎をだいぶ聞こし召した父が、この神様の名を口にするときにはやおら威儀を正すのである。

 熊本は水俣で、道普請(道路工事)を請け負う石屋であった。日が暮れて夕餉(ゆうげ)が済めば、若い職人たちも一緒に、だれやみ(晩酌)の会となる。なめらかになった口で、道路の基礎に埋める根石はどの山から切り出すのが上等か、などといつもの石談議が始まる。

 あの山奥の石は間違いないが、算盤(そろばん)が合わぬ。そんなことを言う人があれば、父は憤然とちょこ(猪口)を置き、痩せた背筋をぴんと伸ばす。

 「銭(ぜん)のなんのち言うては、セイショコさまに申しわけの立たぬことぞ」

 まるきり神仏を畏(おそ)れ敬う口ぶりであった。この石の神様が、加藤清正公(セイショコ)という人間の名を持つとやがて知ったとき、なんとも不思議な思いをした。

 算盤づくとはほど遠かった家業は、わたしが小学校に上がってまもなく破産。「さしょうさい(差し押さえ)」という、子どもの耳には化け物めいて聞こえるものがやって来て、家財まるごと呑(の)み込んでいってしまうのである。

 父に連れられて、セイショコさまが築いたという熊本城を訪れたのは、そんな騒動の前のことだったろうか。我が神様のつくりなはった日本一の石垣を、娘に自慢するような気持ちだったに違いない。

 もう夢のようにも思える記憶のなかで、父は苔(こけ)の模様をうかせた石垣に手を添えて、「石の歳(とし)ば幾(いく)つち思うか」と聞くのである。きょとんとするわたしに「石どもは年月の塊ぞ。年月というものは死なずに、ほれ、道子のそばで息をしとる」。わたしはなんだか途方もない、寄る辺ないような気持ちになり、石の粉でざらざらにすり切れた父の手にすがりついた。

     *

 1年前の熊本地震。セイショコさまの熊本城は瓦や石垣が崩れ落ち、土煙に包まれたように見えたという。その揺れが来たとき、わたしは熊本市の療養先のベッドにいた。これはもう死ぬなあと思った。枕で顔を覆った。助かりたいというのではない。せめて顔に傷がない状態で発見されたいと願ったのだった。

 幸い、施設のヘルパーさんたちに助け出され、運ばれた先の病院の方々にもお世話になったおかげで、いまこうして生きている。

 「セイショコさんが築いた石垣は、あとの時代に積んだ部分より、被害が少なかったそうですよ」。わたしの石への執着を知る人が、そんなことを教えてくれた。父に伝えたら、何と言うだろう。何を分かりきったことを、と渋面をつくりそうな気もする。

     *

 そういえば、薩摩に近い山里に父が道を通し、その渡り初めのお供をしたことがあった。道の石積みに沿うようにして野の花が咲き、石蕗(つわぶき)の黄色い花頸(くび)に暮れかけた陽(ひ)の色が残っていた。

 「花の道のできやした。さあ、道に足ば下ろしてくだはりませ」

 父がそう声をかけても、山里の人たちは尻込みして動かない。神さまの通りよらす前に渡っては恐れ多いと、手を合わせる。その姿は道の石積みを拝むようにも、野辺の花を拝むようにも見えた。父は感じ入った様子で、「石の中でも花の咲くとぞ」とつぶやくのだった。    

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福岡伸一の動的平衡 [スズムシ日記]


朝日新聞週一の連載エッセイ27日付エッセイは老人が主題。おいらもれっきとした老人。福岡さんの言いようだとジジイだ。何か文句あるか!でも、福岡さんが取り出したのはジジイになった石原都知事の失言。でも昨今の石原はジジイになって哀れな行状をさらしているじゃないですか。じゃ行ってみましょう。


ジジイとババアの存在が


「文明がもたらしたもっともあしき有害なものはババアなんだそうだ。女性が生殖能力を失っても生きてるってのは、無駄で罪ですって」とかつて発言したのは、石原慎太郎元都知事。当然のことながら大きな反発を引き起こし、女性グループによる訴訟に発展した。裁判所は発言を不用意としたものの、名誉毀損とまでは認めなかった。


 オランウータンやアカゲザルには更年期があり、シャチやクジラの一部には閉経後も生きる種がある。とはいえ、生殖期間が終わった後、30年にわたる長き「老後」(オスを含めて)が存在する生物は確かにヒトだけ。しかしこれは決して無駄でも罪でもない。進化史上、有利だったからこそその特性が保存されたと考えなくてはならないからだ。


 その有利さとは何だったのか。おそらくは、次の世代が子育てをするのを手伝い、経験や知恵・知識を、————遺伝子とは別のかたちで————、手渡すことが、ヒトが生き延びる上で欠くことのできない価値をもっていたのだ。


 つまり、石原(敬称がついていたがおいらはとるぞ)の発言はむしろ逆で、ババア及びジジイの存在がもたらしたものこそが文明だったのである。そして問題の所在は、3・11以降、その過度の発展が、ブーメランのごとく、自らの存在を脅かすまでにリベンジを開始してきたところにある。真の知恵が試される時がきた。



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与良政談 毎日新聞夕刊連載 4月号2本 [スズムシ日記]


与良さん、なかなかいいじゃない。国民をなめきっている安部の言動に与良さん自身があがききれないジレンマを表明しているのがいい。おいらもそうだ。バカヤロウ!ってみんなで言おうよ!2本まとめて登場してもらう。

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 こんな人々が大臣なのだ。


安倍内閣の閣僚や政務官のあぜんとする暴言や不祥事が続く。


 今村雅弘前復興相は記者の質問に激高して東京電力福島第1原発の自主避難を「本人の責任」と発言。反省したかと思いきや、今度は東日本大震災に関し「(発生場所が)まだ東北でよかった」と言い放った。辞任は遅過ぎたほどだ。


 山本幸三地方創生担当相は誤った知識をもとに「一番のがんは文化学芸員」と語って釈明に追われた。金田勝年法相は組織犯罪処罰法改正案の説明がままならず、「答弁のお助け役」として法務省刑事局長を参考人として呼ぶよう与党が強引に決める異例の事態となった。


 いずれも大問題だ。しかし安倍晋三首相はその都度、即座に更迭するなど、これまできちんとけじめをつけなかった。だから今村氏のように口ばかりの反省になるのである。


 こうした問題が表面化すると「政権の緩みやおごりが出た」と報道されがちだ。だが「緩んでいるから起きた」というより、元々こんな人たちが大臣をしている現実を、私たちは認識して怒るべきだ。それでも「いつか国民は忘れるだろう」と政権が高をくくっていることが「安倍1強」のおごりなのだ。


 「北朝鮮情勢が緊迫する中、閣僚発言の揚げ足を取っている場合か」といった声も聞く。しかし、こんなにも言葉が、いや存在自体が軽い人たちに危機管理を任せておいて大丈夫かとむしろ私は心配になる。


 安倍首相自身の言葉にも触れておく。首相は先週、東京銀座の商業施設オープン式典で、あいさつ原稿に地元・山口県の物産について触れられていないことを取り上げて「よく私が申し上げたことをそんたくしていただきたいと、こう思うわけであります」と冗談を飛ばした。


 「そんたく」は森友学園問題の重要なキーワードだ。それをジョークのネタに使う感覚に驚く。森友問題は報道も少なくなったから、もう乗り切ったと余裕を見せようとしたのだろうか。だとすれば、野党も私たちメディアも、そして国民も随分なめられたものだ。


 こんな劣化状況に新聞テレビも慣れっこになってしまうのが怖い。なめられないためには、しつこく追及することだ。


「共謀罪」に関心もとう


 弱みは絶対に見せないということなのだろう。安倍晋三首相の国会答弁は最近、ますます断定調が目立つようになった。


「共謀罪」の構成要件を改め「テロ等準備罪」を新設する組織犯罪処罰法改正案の審議入りに際し、首相は先週の国会でこう語った。


 「捜査機関が常時国民の動静を監視するようになるといった懸念は全く無用だ」


 本当にそうか。捜査機関が改正案を拡大解釈して乱用する心配はないのか。国民の心の内までが監視される恐れはないのか−−。これまでの政府の説明では多くの人々がそんな不安を抱くのは当然だ。


 何しろ長年の憲法解釈をあっさり変更し、集団的自衛権の一部行使を認めた政権だ。戦前の教育勅語もどうしても否定したくないようだ。


 政権が個人の権利より国家の権力強化を重視しているのは疑う余地がない。今回の改正案を戦前の治安維持法に例える人が多いのは、そうした政権の性格を抜きには語れない。


 ところが、そんな例えを持ち出すと首相は「それは印象操作だ」と言う。ならばこの法案が成立しないと3年後の東京五輪・パラリンピックが開けないと言わんばかりの説明も印象操作と言うべきだろう。


 異論を一刀両断に切り捨て、ともかく権力者の言うことを信じろでは国会審議は要らなくなる。


 「森友学園」問題を見てみよう。「私や妻が関わっていたら首相も国会議員も辞める」と首相がいきなり断言してしまったため、妻の昭恵氏の関与について無理な政府答弁を重ねる結果になっているではないか。


 テロ対策は必要だと誰でも思う。ただし、この法案はどれほど具体的にテロ防止につながるのか。現行法では対応できないのか。疑問点は多々ある。だから最初から結論を決めつけずに、一つ一つ謙虚に、きちんと詰めていくことが必要だ。


 私たち新聞やテレビの努力不足もあるだろう。まだ国民の関心は高いとはいえない。特定秘密保護法や安保法制の時にも書いた話だが、消費税率アップなどと違って、こうした法案は成立しても直ちに生活が変わることはないかもしれない。


 しかし、日々の暮らしが目に見えて変わってきた時には、もう後戻りできないのだ。



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どこからか言葉が 谷川俊太郎 19年4月号 [スズムシ日記]

谷川さんの朝日連載。久しぶりに登用します。ちょっとピンぼけぎみだったので、わ〜い!なんて言えなかった。今回はまあ、いいか。厭戦思想があるからね。でも、原っぱなんてもう都会にはない。鉄条網でしっかりガードされてる。そもそも豊洲のあの土地だって原っぱ。それがヒ素がでるっておおさわぎ。

俊太郎さんの今回の詩は 最後がいい。「うつむいてひとりでたっているこもいる」そうですね。あたりまえですが、それを抽出してみせてくれたのがいいですね。新しい指導要領がでましたが、子どもたちはみんな主体的になりなさい!って言ってます。それを目指します!って先生もがなり立てています。でも、びくびくしている先生もいるのじゃないかって思います。俊ちゃんに登場してもらいます。

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はらっぱ


はらっぱでこどもらがはねまわっている

このくにでもあのくにでもはねまわってる

むかしからこどもらははねまわっていた

これからもはねまわるだろう うんがよければ

 

おとなはわらいながらそれをみまもる

それをえにかく うたにする おはなしにする

それからそれをおもいでにして

せんそうをしによそのくにへでかけていく

 

はらっぱでこどもらが ねている

どうしたのだろう

こどもらはいつまでたってもおきあがらない

おとなはもうはらっぱにもどれない

 

いつのまにかはらっぱはほりかえされて

おおきなふかいあなぼこになった

そのうえにたかいたてものができた

うんよくおとなになったこどもらがたてたのだ

 

しんでしまったこどもらのことを

いきているこどもはがっこうでまなぶ

こうていでこどもたちがはねまわっている

うつむいてひとりでたっているこもいる


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問う「共謀罪」表現者から [スズムシ日記]

 朝日新聞が各界の識者をチョイスして「共謀罪」について語ってもらっている。シリーズものだが、半藤さんの言い分に共感したので、登場してもらおう。勿論僕も共謀罪には反対だ。オリンピックに特化した言い方が気にくわない。それこそ国会の安部の答弁は内心を逆にトロしているようで不気味だ。この人はどこまで突っ走るのだろうか。選挙結果がいかに重大かを知らしめている。
 それでは、半藤さんの言い分を聞いてみよう。
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「戦前と違う」とは思わない

 戦争は昔の話。本当にそう言い切れるのだろうか

 私が11歳のとき太平洋戦争が始まった。東京大空襲では、逃げている途中に川に落ちて危うく死にそうになる経験もした。

 向島区(現・墨田区)の区議だったおやじは「日本は戦争に負ける」なんて言うもんだから、治安維持法違反で3回警察に引っ張られた。

 当時は戦争遂行のための「隣組」があった。「助けられたり、助けたり」という歌詞の明るい歌もあるが、住民同士を相互監視させる機能も果たした。いつの世も、民衆の中には政府に協力的な人がいる。「刺す」という言い方もあったけれど、おやじを密告した人がいたんだろう。

 歴史を研究してきた経験から言えるのは、戦争をする国家は必ず反戦を訴える人物を押さえつけようとするということだ。昔は治安維持法が使われたが、いまは「共謀罪」がそれに取って代わろうとしている。内心の自由を侵害するという点ではよく似ている。

 治安維持法は1925年の施行時、国体の変革を図る共産主義者らを取り締まるという明確な狙いがあった。その後の2度の改正で適用対象が拡大され、広く検挙できるようになった。

 政府は今回の法案の対象について「『組織的犯罪集団』に限る」「一般の人は関係ない」と説明しているが、将来の法改正によってどうなるか分からない。

 私に言わせると、安倍政権憲法を空洞化し「戦争できる国」をめざしている。今回の法案は(2013年成立の)特定秘密保護法や、(15年成立の)安全保障法制などと同じ流れにあると捉えるべきだ。歴史には後戻りができなくなる「ノー・リターンポイント」があるが、今の日本はかなり危険なところまで来てしまっていると思う。

 「今と昔とでは時代が違う」と言う人もいるが、私はそうは思わない。戦前の日本はずっと暗い時代だったと思い込んでいる若い人もいるが、太平洋戦争が始まる数年前までは明るかった。日中戦争での勝利を提灯(ちょうちん)行列で祝い、社会全体が高揚感に包まれていた。それが窮屈になるのは、あっという間だった。その時代を生きている人は案外、世の中がどの方向に向かっているのかを見極めるのが難しいものだ。

 今回の法案についてメディアはもっと敏感になるべきだ。例えば、辺野古沖縄県名護市)での反基地運動。警察が「組織的な威力業務妨害罪にあたる」と判断した集会を取材した記者が、仲間とみなされて調べを受ける可能性はないか。「報道の自由」を頭から押さえつけるのは困難でも、様々なやり方で記者を萎縮させることはできる。

 法案が複雑な上、メディアによって「共謀罪」「テロ等準備罪」など様々な呼び方があり、一般の人は理解が難しいだろう。でも、その本質をしっかり見極めてほしい。安倍首相は法律ができなければ、「東京五輪を開けないと言っても過言ではない」と答弁した。それが仮に事実だったとしても、わずか2週間程度のイベントのために、100年先まで禍根を残すことがあってはならない。

 はんどう・かずとし 「日本のいちばん長い日」「ノモンハンの夏」など昭和史関連の著作多数。「文芸春秋」の元編集長。


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(政治断簡)2017.4.17朝日新聞 [スズムシ日記]

汝、内心に立ち入るべからず 

朝日新聞:編集委員・国分高史

 久しぶりの政治風潮にチョイスです。朝日新聞の政治断簡を連載している編集員の国分高史さんの論調はナカナカ硬派でいい。今回も自民党政権の本質をぐいと抉って見せている。もっと声高になるといいんだけれども、これが限界だってことも百も承知でスズムシは息巻いている。「内心」の問題が取りざたされて、いよいよ危うい世界になっている。小林多喜二の母の物語の映画を見た。映画監督は80を越えた方。そのお孫さんが映画にも出演。神楽さんという。お母さんとともども親子陶芸教室に参加している。そんな縁があって映画をみることになった。きな臭いなんて感じている老人が減少しつつあること、それがそもそもつけ入る要因なのかもしれない。手ぐすね引いて待ってましたとね。日本会議もじっとガマンの子だったからね。それでは今回の断簡を繙いてみましょう。

 一連の「森友学園」の問題ではっきりしたのは、安倍政権教育勅語を決して全否定はしないということだ。

 国有地売却にからむ疑惑発覚当初、夫人から伝え聞いたという安倍晋三首相は、幼稚園の朝礼で教育勅語を暗唱させる籠池泰典前理事長を「教育に対する熱意は素晴らしい」と評価していた。

 そして、教育勅語教材に使うことを否定しない政府答弁書と、朝礼での暗唱を「教育基本法に反しない限りは問題のない行為」という義家弘介・文部科学副大臣の国会答弁が、勅語に対する政権の姿勢を鮮明にした。

     *

 明治憲法下の教育勅語の本質は、「父母に孝に」「兄弟に友に」「夫婦相和し」といった徳目を「汝(なんじ)臣民」に守らせたうえで、いざとなれば「一身を捧げて皇室国家のために尽くせ」と滅私奉公を求めている点だ。

 国民主権に反することは明らかなのに、政権中枢の政治家たちは、この徳目を切り取って「日本が道義国家をめざすというその精神は、取り戻すべきだ」(稲田朋美防衛相)という。

 だが、その部分だけを取り上げて評価するのは、意味がないばかりか、問題の本質を覆い隠す。

 教育勅語の時代は、家制度のもと家族の中にも戸主を筆頭に厳然たる序列があった。現代の私たちが当然だと思っている男女間の平等も、個人の尊重もなかった。この背景を抜きに、内心に働きかける徳目の当否は語れない。

 西原博史・早稲田大教授(憲法)は「教育勅語がいうのは、天皇を頂点とする国家とそれを構成する家族内の秩序維持のため、つまり天皇のために親孝行せよということだ。そこを切り離して『いいところもある』と評価するのは、まずは無知であると言うしかない」と話す。

 天皇を元首とする。国民はそれぞれ異なる個性を持つ「個人」としてではなく、単に「人」として尊重される。そして家族は互いに助け合え――自民党が2012年にまとめた憲法改正草案が描く国の姿は、教育勅語がめざした国家像と重なり合う。

 政権中枢が勅語を否定しないどころか、心情的には擁護する理由がよくわかる。

     *

 その政権がいま、テロ対策を理由に「共謀罪」の趣旨を盛り込んだ新たな法の制定に向けひた走っている。

 共謀罪は、犯罪を実行に移した段階から処罰する日本の刑事法の原則を覆す。野党が危惧するように、犯罪を話し合い、合意をしたことが罪に問われるとなれば、戦前の思想弾圧の反省から現憲法で絶対的に保障されている内心の自由が侵されかねない。

 「教育勅語にはいいことも書いてある」「テロ対策がなければオリンピックが開けない」。うっかりしていると「そうだね」と答えてしまいそうな言葉とともに、権力は私たちの内心にずかずかと踏み込んでこようとする。

 ここははっきりと、「汝、立ち入るべからず」の意思表示をしておかなければ。


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私だけの東京 毎日新聞夕刊連載 [スズムシ日記]

久しぶりの投稿です。共謀罪だとか介護保険法改悪とか、ちっともいいことがない。民進党も細野の反乱でちっともまとまりがない。それをみんな知っているから、見限っている。れんぽうさん頑張れって言いたいが、何か痛々しい。と僕は思う。
今回の投稿は「私だけの東京」。毎日新聞に連載されている。みんなの出自がそれぞれ懐かしい。今回取り上げた辺さんは在日韓国人。僕と同年齢だから、余計に共感する。僕の住む南台は元は雑色村。戦後にいわゆる朝鮮部落があちこちに点在していた。僕の同級生の金田くんは東大に入った。どうしているのだろうか。辺さんのこども時代を伺って、僕のこども時代を思い出した。

忘れられない納豆売り コリア・レポート」編集長・辺真一さん 

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 フリーのジャーナリストとして日々、慌ただしく過ごすうち、気がつけば、僕も70歳になりました。ふと思い出すのは少年時代のことですね。物心ついた時に住んでいたのは東京都荒川区の三河島です。とにかく貧しかった。みんな貧しかった。在日朝鮮人が2030世帯ほど、あちこちで、それこそ肩を寄せ合うように暮らしていました。

 おやじは韓国の南、済州(チェジュ)島は西帰浦(ソギポ)の生まれです。出稼ぎのため大阪に渡り、そこで同じく済州島からやってきた母と結婚する。土木作業など日雇い仕事をしていましたが、終戦を機に上京、進駐軍の余剰品を闇市に流したりしていたらしい。上野かいわいではおやじら辺一族は「辺3兄弟」と呼ばれ、闇市を仕切る顔だったみたいです。

 でも、生活は苦しかった。我が家は木造家屋の2階、6畳間に両親と僕ら子供4人の6人で住んでいました。信じられますか? 6畳に6人ですよ。便所はもちろん共同、お風呂は2軒先に銭湯があって、脱衣場のテレビで力道山のプロレスなんかを見るのが楽しみでした。そうそう、一度、火事になったことがあって、みんな裸で逃げ出してきたのを覚えています。

 近所は金さん、李さん、朴さんだらけでしたが、日本人ともよく一緒に遊んでいました。チャンバラごっことかね。ケンカすると「ニンニクくさい」と言われたりもしましたが、こちらも負けじと「タクアンくさい」と言い返したりね。陰湿な感じはなかったし、取り立てて差別を意識したこともありませんでした。吉永小百合さん主演の映画「キューポラのある街」、僕らにはすごく分かる世界です。

 通っていたのは東京都立第一朝鮮人小学校です。校長先生は日本人、先生は日本人と朝鮮人が半々。児童には密航者も多かった。うさぎ追いしっていう日本の童謡「故郷」を朝鮮語に訳して歌ったりしましたね。♪サントッキモルロヌンウリトンサン……。まだ歌えます。母が僕を1年、早く入れてしまったものだから、6年間ずっと小さいまま。通信簿を見ると、入学時の身長が101センチ! 勉強はだめでしたが、足は速かった。すもうも上手投げが得意でね。毎年開く同窓会で、クラスメートはいまでも運動会のことを話題にするんですよ。「チニリ(真一)かっこよかった」って。

 苦労している両親を楽にさせたくて、小学校に入ると真ちゅうやくず鉄なんかを拾って売っていましたが、忘れられないのが小3からやった納豆売りです。登校前、朝も暗いうちに起き、近所のおばあさんから手作りの納豆を30個もらうんです。110円で、一つ売れたら3円くれる。僕は納豆の入った箱を駅弁売りみたいにぶら下げて「なっとー、なっとなっとー」と声を張り上げながら歩く。そしてとんとん戸をたたいて「納豆、買ってくださーい」。ま、けなげに思ってくれたんでしょう、みんな買ってくれるんですよ。

 三河島では済州島の味で育ちました。好きだったのはネングク(冷やし汁)。冷たい汁にキュウリが浮いている。たまにお金に余裕があると、イカが入ったりする。でも、もっと好きなのはチョベギ。日本で言えば、すいとんでしょうか。うどん粉のだんごのようなものをスープに放り込んで、ごま油で味をつけて、卵を割り入れる。辛くはないんです。お米もまともに買えない時、これでおなかをいっぱいにするんです。粗末な食べ物でしょうが、おいしい。もしジャーナリストになっていなかったら、チョベギ屋でもしようかと考えたくらいですよ。

 1994年、金泳三(キムヨンサム)政権の時代になって初めておやじの出身地、済州島を訪れました。辺家の墓で思ったものです。どうして僕は日本に生まれたのか、どうして韓国に生まれなかったのか、と。でも、これは運命なんだとすぐ思い直したんです。流れ流れて、たどりついたのが三河島、僕の古里は三河島なのだ、と。僕の古希の祝いは家族と焼き肉屋に行くぐらい、生活習慣は日本人のそれともう変わりません。そんな在日2世のジャーナリストとして、日本人よりも韓国人を、韓国人よりも日本人をよく知る立場から、日本と朝鮮半島について発言を続けていくつもりです。【聞き手・鈴木琢磨、撮影・内藤絵美】

 ■人物略歴 ピョン・ジンイル

 1947年生まれ。明治学院大卒。朝鮮新報記者を経て、82年に独立。「コリア・レポート」創刊。最新刊は「在日の涙-間違いだらけの日韓関係」(飛鳥新社)。


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内田樹の研究室から  [スズムシ日記]

難しすぎる?

 

 「難しすぎる」とは何か?というブログは115日にアップされたものです。『転換期を生きる君たちへ』(各界の識者による論集形式のもの。内田さんが編者)が出版されたのだが、都内の公立中学校の先生から晶文社の編集者に手紙がとどいたのだそうです。それによると、よい本なので購入して、学校図書館に陳列したのだが、だれも読むものが現れない。そこで仕方なく、生徒会長、生徒会役員、学級委員の三名の男子生徒(全員二年生)に順番に読んでもらったところ、彼らは難しすぎるとのことだったと……。

 それで、内田さんはほとほと悩みもして、表記のブログをしたためることになったのだそうだ。

 このブログも長文で、途中で頓挫しそうな方も頻出するのじゃないかと思うのだが、「難しい」と同様に「長すぎる」も嫌われることは百も承知で内田さんは自説を述べておられる。全文をお読みになりたければブログを訪れてほしい。

 さて、その文章のなかで、これはとっても「すごくて」「いい」と思う、学校論が述べられている。おいらもそんな学校をめざしてもいたが、徒労におわったように思い、忸怩たるものがあるのだが、以下の内田さんの論を是非とも読んでほしいと思う。

 『この世に「最低の学校」というのがあるとすれば、それは教員全員が同じ教育理念を信じ、同じ教育方法で、同じ教育目標のために授業をしている学校だと思います(独裁者が支配している国の学校はたぶんそういうものになるでしょう)。でも、そういう学校からは「よきもの」は何も生まれません。これは断言できます。とりあえず、僕は、そんな学校に入れられたら、すぐに病気になってしまうでしょう(病気になる前に、窓を破っても、床に穴を掘っても、脱走するとは思いますが)。僕はそういう「閉所的」な空間に耐えることができません。どんな場所であれ、そこで公式に信じられていることに対して「それ、違うような気がするんですけど」という意思表示ができる権利が確保されていること、それが僕にとっては、呼吸して、生きていけるぎりぎり唯一の条件です。

 勘違いしないで欲しいのですが、「僕の言うことが正しい」と認めて欲しいわけではないのです。僕が間違っている可能性だってある(だってあるどころかたいていの場合、僕は間違っています)。それでも、みんなが信じている公式見解に対して、「あの、それ、違うような気がするんですけど」と言う権利だけは保証して欲しい。「僕が正しい」とみんなに認めて欲しいのと違うのです。ただ、正しい意見に対して、「それは違うと思う」と言っても処罰されない保証を求めている、それだけです。

 教師も生徒も、全員が同じ正しさを信じていて(信じることを強いられていて)、異論の余地が許されていない学校は、知的な生産性という点から言うと、最低の場所になるでしょう。そういう学校から、多様な個性や可能性を備えた若者たちが次々と輩出してくるということは決してないと僕は思います。というのは、知的な生産性というのは「正しい/間違っている」という二項対立とは別のレベルの出来事だからです。

 ほんとうに新しいもの、ブレークスルーをもたらすものは、いつだって「思いがけないもの」です。そんなものが存在するとは誰も思っていなかったものです。それが、そんなところから何かが生まれなんて誰も思ってもいなかった場所から生まれ出てくる。そういうものなんです。いつだって、そうなんです。ほんとうに新しいものは、思いもかけないところから生まれてくる。

 ですから、知的生産性という点からすると(もう三回目ですけれど、実は僕はこの言葉があまり好きじゃないんです・・・)、学校が多産であるためには、「そんなところから何か価値あるものが生まれて来るとは誰も予測していなかった場所」がたくさんあることが必要だということです。薄暗がりとか、用途のわからない隙間とか、A地点からB地点にゆく場合の最短ルートとは別の迂回ルートとか、坐り込んだら気分よくて立てなくなってしまうソファーとか、意味もなく美しい中庭とか・・・そういう「何の役に立つのかよくわからないもの」たちが群生しているのが知的空間としては極上だと僕は思います。これは僕が長く生きてきて得た経験的確信です。』

  どうでしたか?深い学びを標榜する新しい指導要領が30年からスタートする。どうも内田さんのいう学校はもう出現することすら難しいのではと思うスズムシでした。(卒業式前の超多忙な先生方は25日過ぎにゆっくりかみしめてくださいね、



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異常な長期拘留  [スズムシ日記]

5ヶ月も留置場に拘留。証拠隠滅のおそれがあるとの理由で。でも、これは安倍政権の見せしめ的踏み絵の状態。辺野古移設反対運動のリーダーを拘束したのだ。沖縄の人々は一層憤るだろう。傍観のスズムシで申し訳ない。記事をせめて掲載しよう!

辺野古移転 反対派リーダー、一部否認 5カ月勾留後、初公判 公務執行妨害など 
毎日新聞2017317日 東京夕刊

 沖縄の反基地運動のリーダーで、米軍普天間飛行場(沖縄県宜野湾市)の名護市辺野古への移設などに抗議する活動を巡って威力業務妨害罪などに問われた沖縄平和運動センター議長、山城博治被告(64)ら3人は17日、那覇地裁(潮海二郎裁判長)であった初公判で、米軍基地内の有刺鉄線を切断したとされる器物損壊罪は認めたが、その他2件の起訴内容については否認して無罪を主張した。

 山城被告は、米軍基地のゲート前にコンクリートブロックを積み上げたとされる威力業務妨害罪について「抗議行動の一つで正当な表現行為だ」として否認。防衛省沖縄防衛局職員にけがをさせたとされる公務執行妨害と傷害の罪についても「職員の行為は正当な公務性を欠き、止めようとしただけだ。傷害を与える行為をした事実もない」と主張した。

 そのうえで「私は5カ月にわたって長期勾留を強いられてきた。異常な隔離であり、不当な弾圧だ。沖縄の反戦運動は今後ともさらに力強く展開していくし、闘いは不滅だ」と述べた。

 山城被告と共謀したとして威力業務妨害罪に問われた66歳の男と、公務執行妨害と傷害の罪に問われた44歳の男も起訴内容を否認した。

国際団体が批判

 山城被告が最初に逮捕されたのは昨年1017日。勾留は約5カ月間に及び、国際人権団体などから批判が相次いできた。刑事法学者のグループが「不当に長い拘禁」と批判する「緊急声明」を発表した他、作家の落合恵子さんや鎌田慧さんらも早期釈放を求めている。さらに国際人権団体「アムネスティ・インターナショナル」は、2015年に悪性リンパ腫で入院した山城被告の健康状態を懸念し、早期釈放を呼び掛けている。

 この間、弁護側は保釈を求めてきたが、那覇地裁は「証拠隠滅の恐れがある」と却下し、最高裁への特別抗告も2度退けられた。

 元東京高裁部統括判事の木谷明弁護士は「比較的軽微な犯罪で証拠隠滅の可能性は乏しい。もし心配なら条件付きで保釈すればいい。長期の勾留は適切ではなく『反対運動をつぶすためだ』との見方をされても反論できないのではないか」と話す。


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熱血与良政談 毎日夕刊連載 [スズムシ日記]

17315日毎日夕刊 昭恵夫人という印籠

 学校法人「森友学園」をめぐるこれまでの国会質疑で一番印象に残ったのは、安倍晋三首相が声を荒らげて反論した次の答弁だった。

 「(役人が)忖度(そんたく)した事実がないのに、(あると)言うのは典型的な印象操作だ」「名誉校長に安倍昭恵という名前があれば印籠(いんろう)みたいに恐れ入りましたとなるはずがない」

 学園が新設を目指していた小学校の名誉校長に、首相夫人・昭恵氏が就任していたのはご承知の通りだ。問題発覚後辞任したが、民進党の福山哲郎氏は昭恵氏が名を連ねていたことが異例の手続きに影響したのではないかと尋ねた。それに対して首相は水戸黄門の印籠のような力=威光はないと答えたのだった。

 政治家が口利きしていなかったかどうかはなお分からない。だが、仮にそうでなかったとしても、学園側が首相と昭恵氏の名前を利用しようとしていたのは確かだろう。近畿財務局をはじめ役所の担当者たちはまず「面倒な案件が持ち込まれた」と考えたのではないだろうか。

 そこで、こうも考えるかもしれない。もしかすると学園は実際、首相と信条が近いのではないか。ならば早く処理して手放した方がいい。あるいは首相に恩を売ることができるかもしれない--。役人側がそんな忖度をいくつも重ね、今回の手続きを通してしまった結果だとしたら、それも極めて深刻な事態だと思う。

 安倍首相は「1強」状態で、長く政権が続く可能性がある。その首相夫妻の名前が「印籠になるわけがない」と首相が考えているのなら、認識が甘く、責任逃れだろう。

 この問題は先月上旬、小学校予定地(国有地)の売却価格を地元の大阪府豊中市議が公表させ、異例の格安価格が明らかになったことから初めて明るみに出た。

 それがなければ、これまた今、世間を驚かせている学園の教育方針に基づいた小学校が4月に大手を振って開校し、昭恵氏も名誉校長を続けていたのではないか。そんな時代になっていることが危ないのだ。

 自民党の中には、学園が小学校の設置認可申請を取り下げ、籠池泰典氏が理事長辞任を表明したことで「これで国会に参考人招致する必要はなくなった」という声がある。とんでもない。まだ何も解明されていないのである。

スズムシ:与良さんの論調に与する。財務局の挙動が絵に描いたようにイメージできる。それが与良さんの言葉の強みだし、政治にかかわってきたマスコミ人の真骨頂だ。トランプに抗っているアメリカのマスコミと同様のことだ。めげずにどしどし主張してほしい。できれば与良さんの政談は1面に記載されることがホントは大事なんだけれどね。今は2面の脇にひそやかに記載されている。毎日新聞の限界とも言える。与良さんは専門編集委員という肩書きだ。


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内田樹の研究室から [スズムシ日記]

内田さんは定期的にルモンドの記事をブログに記載する。それをオイラも追認する。ルモンドはフランス語で刃が立たないので、内田さんを頼るしかない。フランス人がどのように日本の世情を読みとっているのか。が分かる。だからオイラは非常に愉快になる。今回も安部に手厳しいのがいい。

ル・モンドの記事から(森友学園問題)

2月27日のLe Monde が森友学園と安倍総理の関係について報じた。どのよう形容容詞が用いられているか、注意して読んで欲しい。

ナショナリスト的逸脱(dérive nationaliste)と不都合な便宜供与がいりまじった一つの事件が日本の総理大臣安倍晋三の足元を脅かしている。話題になっているのは4月1日開校予定の大阪の私立「瑞穂の国記念」小学校である。
2月27日、当局はこの施設の建設工事についての調査を行った。この施設は学校法人森友学園が開学する「日本で最初で唯一の神道小学校」である。神道は日本起源の宗教である。
森友学園は2016年6月に国土省から一区画の土地を1億3400万円で購入したが、これは現地の地価の七分の1である。国土相はこの土地が9億5600万円と価格査定されていたことを認めている。この値引きが行われたのは、廃棄物の除去と、微量のヒ素や鉛を含む土壌の除染が必要だったからである。しかし、野党によると、取り出されたのは廃棄物のごく一部であった。残りは現場に埋め戻され、森友学園は除去工事のために1億円しか支出していない可能性がある。当局はこの交渉についての記録は保存されていないと述べている。
総理大臣とその妻昭恵はこのプロジェクトに深いかかわりを有している。安倍夫人はこの小学校の名誉校長であるが、彼女の名前と写真は学校のインターネットサイトからはすでに削除されている。また彼女が生徒たちに向けて書いたメッセージ、彼らが「明日の日本の指導者になる」という文言も削除された。学園は「安倍晋三」の名を学校につけることを求めていたが、本人の依頼によって断念したとされている。
「もし、私の妻や私がこの取引に関与していたことが明らかにされたら、私は総理大臣も国会議員も辞職する」と安倍晋三は2月18日に言明した。だが、それでも事態は沈静しなかった。
2015年9月4日、安倍夫人は同じ学校法人が経営する大阪の幼稚園を訪れている。子供たちが毎朝日本を称える歌を歌い、教育勅語(1890年に制定され、1945年まですべての学校で毎年何度も朗読されたテクスト)を朗読することを彼女は大いに喜んだ。この勅語は「帝国の偉大さ」を称え、「必要なときには国家のために身命を捧げること」を命じたものである。
森友学園のプロジェクトは防衛相稲田朋美と日本会議からの支援を得ている。日本会議は影響力を持つ超国家主義的(ultranationaliste)復古主義的(traditionaliste)な組織で、その会員には総理大臣も森友学園の理事長籠池靖憲も含まれている。
この近接性は極端なナショナリスト出自(issu de la frange nationaliste)の安倍氏が現在の学校教育が過剰にリベラルであり、歴史問題について「自虐的」であることをつねにはげしく批判していることと符合する。彼は第二次世界大戦中の日本の権力濫用についての記述を歴史教科書から減らすように主張し続けてきた。
森友学園のねらいは「世界一純粋な国」日本の子どもたちの「愛国心と誇りを涵養する」ことにあり、そこには排外主義(xénophobie)的傾向が濃厚である。テレビは運動会の開会式での幼稚園児たちの宣誓の場面を収録したビデオ映像を放送したが、その宣誓の言葉には、「日本を迫害する」中国と韓国に対する言及があった。子どもたちはまた総理大臣と彼の安全保障政策に対しても「安倍総理、がんばれ」との声援を送っていた。



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学校と私 毎日新聞連載 [スズムシ日記]

本日 2本目の投稿 アップしたい記事がやたらあるわけじゃない。でも本日は朝日と毎日にひとつづつあった。これからアップするのは 前田吟さんの来歴。貧しくて哀しくて愛しくなるね。吟さんよ!みんなそうだった。多くはね。敗戦前後生れはね。
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落着いて勉強したかった。

 戦中の生まれです。母はシングルマザーで、生まれてすぐに前田家に養子としてもらわれました。でも、養母は4歳のころ、養父は中学2年になる直前に亡くなり、行くところがなくなってしまってね。義務教育だけはなんとか終わらせようと、前田の親戚のおじさんに預けられました。

  山奥の開拓村でランプの生活でしたが、勉強すると成績が上がってね。男の中で1番になることもありました。おじさんは中卒で働かせるわけにはいかないって、実母の親類に交渉してくれました。それで実母の姉のところに預けられて山口県立防府高校に進学したけど、1年で中退して、独り大阪へ出たんです。

 俳優になりたいという気持ちは小学校6年の時に芽生えました。学芸会で西遊記の沙悟浄を演じた時、担任の先生がほめてくれたんです。周りは棒読みでしょ。「俺が一番うまいな」って自分でも思っていましたね(笑い)。先生が「俳優になりなさい」と言ってくれた。それから雑誌で田中絹代さんや三船敏郎さんの手記を読んだりして。実家が貧しかったり両親がいなかったりという俳優さん、意外と多かった。これはもう俳優以外ないなと思いました。

 大阪では働きながら、夜は演劇学校へ行きました。その時、新国劇を作られた倉橋仙太郎さんに出会いました。本読みや踊り、剣劇を指導してもらってね。東京に俳優座という養成所があるからそこへ行くよう説得されました。「そこを出れば、食べていけるよ」ってね。演劇学校に入るには高卒が条件だったから、通信制の高校に入り直したんですよ。良い先生と出会いましたね。親や親戚もいなくて先生に助けられて生きてきました。

 実はコンプレックスがあるの、学校に。落ち着いて勉強したり、遠足行ったり、運動会やったりという記憶がなくてね。小学校4、5年のころから常にお手伝いをしていて、放課後は牛乳配達や新聞配達に行くから「早く終わんないかな」って思ってたんですよ。配達のあとは海にアサリを取りにいったりね。だから、今の子どもたちにはのびのびと勉強して、友達作って、遊んで、自由にしてほしいよね。それだけだね。

 まえだぎん:1944年山口県生まれ。劇団俳優座養成所15期卒業。主な出演作に映画「男はつらいよ」シリーズ。最新作「3月のライオン」は18日から前編、4月22日から後編が公開される。


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天声人語 [スズムシ日記]

昆虫写真家の目 天声人語 17年3月13日付朝日朝刊    

 久しぶりの投稿です。
 トランプや大阪私学とかサウジの王様がやってきたとか朴大統領が罷免されたとか、世の中慌ただしい。教育勅語を一斉に発声する幼稚園はすごい。大阪はもっとすごい。天変地異が起こっているようだ。
さて、このたびの天声人語は虫のことだ。
近頃学校に虫がいなくなった?先生が嫌いなんですって。そいうえば、今から10年まえ、僕も教師だったころのこと。夏休みに日直で各教室を巡回して、異常がないか見て回っていた。水槽はもう水が腐って、あえなくザリガニがお陀仏だったり、干からびた植物が目立つようになった。
今はどうなんだろう。天声人語も現代の風潮を伝えている。ああ、そうなんだと思う。よくよく読んで見なさい!
そして学校の先生猛反省しなさい。

 アリの巣には一定の割合で働かないアリがいるとは聞いたことがある。しかし、ここまで何もしないアリの種類があるとは知らなかった。日本各地にいるサムライアリは、別の種類のアリの巣を乗っ取って働かせる。エサを集めさせ、口移しで食べさせてもらう。
 働き手が不足すると、よその巣から卵や幼虫をさらってくる。昆虫写真家、山口進さん(69)の新著『珍奇な昆虫』には、虫たちがつくる「社会」が数多く描かれている。一方的に利用する関係もあれば助け合いもある。
 蝶(ちょう)の一種クロシジミの幼虫は体から甘い汁を出してアリに与え、アリの巣で養ってもらう。「虫と虫の関係は様々。何だか人間と似ているでしょう」と山口さんは言う。共生をテーマに虫たちを追い、居住する山梨県そして世界を飛び回ってきた。
 昆虫から始まり、関心は広がる。どの虫とどの植物の関係が深いのか。農業が虫にどう影響するのか。最近はトンボのアキアカネが育ちやすい伝統的な田んぼづくりに魅せられ、新潟県に足を運ぶ。
 約40年にわたり「ジャポニカ学習帳」の表紙を飾ってきた虫や花の写真も、山口さんの作品である。しかしここ数年は「気持ち悪い」という声に押され、虫の写真はなくなった。一部の復刻版を除き、花だけである。
 「子どもは虫が好きだと思う。でも先生や親に苦手な人が増えているのでしょう」と残念そうだ。昆虫を入り口に、自然や科学へと目が開かれる。そんな道はこれから細くなってしまうのだろうか。


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茂木さんのブログから [スズムシ日記]

俯瞰と接近
ブリューゲルのことが書いてある。昔大きな魚が小さな魚を食うをこどもたちに鑑賞してもらって、絵を描いてもらったことがある。おぞましい心象風景がいくつか仕上がった。茂木さんはどんな心象がうかびあまるのだろうか?もしゃもしゃ頭は絵本の主人公にもなっているね。
さてと
それじゃあいってみようか。

大学生の頃、部屋にピーテル・ブリューゲルの『子どもの遊び』のポスターが張ってあった。随分大きなもので、壁の面積をだいぶとっていたように思う。

 勉強の合間などに、時々顔を見上げて眺めた。いくら見つめていても、飽きることがなかった。輪を転がして遊ぶ者。川の近くで、スカートを広げて座る女の子たち。樽に乗る少年。お手玉をする人。袋のようなものを膨らませる女。自分の足に手をからませて、世界から背を向けるように座っている男。逆立ちする人物。スイカ割りのような遊びに興ずる一群。 

 すべての仕草の意味がわかるわけではない。込められた寓意が読み取れるのでもない。それでも、ただただ面白くて、眺めていると時の経つのを忘れた。

 ペートル・ブリューゲルは私の最も愛する画家の一人で、美術館などで作品に出会うとずっとその前に立っている。そして、自分の部屋で『子どもの遊び』を見ていた時と同じように、飽きずに眺めている。時が許す限り、いつまでも経っている。なぜ、ブリューゲルの絵にそれほど惹き付けられるのかと思う。

 「俯瞰と接近」が鍵だと気付いたのは、脳の研究を始めてからのことである。ブリューゲルの絵においては、さまざまなものが「俯瞰」されている。例えば、『雪中の狩人』。


 犬たちを引き連れて、狩りに出かける男たち。犬の群れを先導している三人の人物が絵の中心であることはもちろんだが、同時に、さまざまなものが並列して見えている。男たちの背景では、たき火をしている。遠景の氷上では、スケートをしたり、ホッケーのようなこと、カーリングのようなこと、思い思いに遊ぶ人たちがいる。空には鳥が飛んでいる。木の枝に止まっている鳥もいる。これらすべてのものが、『雪中の狩人』では「俯瞰」されている。

 その一方で、絵を見るものは一つひとつのものにいつの間にか「接近」している。ブリューゲルの絵の最も驚くべき性質の一つは、画面の中の誰にでも「感情移入」することができることである。「私」は、一番右側にいる狩人かもしれない。スケートをしている赤いスカートの女かもしれない。遠景の氷上でスティックのようなものを振るう男であったかもしれない。

 それどころか、人間である必要すらない。「私」は、尻尾を巻いてトボトボと歩く犬だったかもしれない。あるいは、大空を舞う鳥だったかもしれない。絵の中に描かれた一つひとつのものに「接近」し、それを自分に置き換えることができる。そのような特徴がブリューゲルの絵にはあるのである。

 「俯瞰」と「接近」。相反するように思えるアプローチが一つの絵に共存する。ここに、ブリューゲルの芸術の重大な秘密がある。一人ひとりが、大切な存在として尊重される。かといって、特定の立場にとらわれてしまうのではない。すべてを見つつ、一人ひとりの立場にも寄り添う。そのような「奇跡」が、ブリューゲルの絵にはある。

 「俯瞰」と「接近」がもっとも高度な形で表れているのが、『十字架を運ぶキリスト』。キリストが、自らが磔される十字架を運んでいる。救世主の受難。通常の宗教画の文法ならば、キリストだけをクローズアップする。しかし、ブリューゲルにおいては、すべての人が平等に俯瞰されている。それでいて、作者や見る者の目が、キリストその人に「接近」していることは疑う余地がない。

 『十字架を運ぶキリスト』を一つの頂点とする、俯瞰と接近の共鳴。ブリューゲルの絵は、人間と世界の関係についての何か重大な真実を私たちに伝えている。
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渾沌たる世界を問う 5 [スズムシ日記]

政府不信の背景探れ 

カレル・バン・ウォルフレン氏(ジャーナリスト、アムステルダム大名誉教授)

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 ドナルド・トランプ次期米大統領を支える主要ポストが固まったが、今後については「分からない」に尽きる。ただトランプがさまざまなことを劇的に変えたいと思っていることだけは確かだ。2017年は第二次世界大戦後の現代史の転換点となるかもしれない。ソ連の崩壊(1991年)、米同時多発テロ(01年)など過去の転換点では、世界での米国の役割が重要だった。その後、米国の地位は後退し続けており、今後もその傾向は変わらないだろう。

 大統領選の両候補はまったく魅力的ではなかった。そも米露関係の観点からはトランプが勝ったことは良かったと思っている。米国、欧州そして日本にとってもロシアとの対立から生まれるものは何もない。ヒラリー・クリントン前国務長官が勝利していれば、ロシアとの対立はさらに深まっていた。

 欧州も主要国で国政選挙を迎える。ポピュリズムという言葉が多用され、欧州の政治家やメディアエリートたちは非合理的な熱狂であるとみなしている。人々が抱える不満の根本的な要因から目をそらしたいのかもしれないが、背景にある深い意味を探ることは欧州の将来を理解するために不可欠だ。

 例えばオランダでは生活水準が徐々に低下している。かつてうまく回っていた医療高齢者介護の制度も向上していない。小さな不満の積み重ねで政府を信頼できないという感情が高まり、人々と政府の乖離が広がっている。

 欧州各国に共通することだが、中間層以下にとっては一握りの層が自分たちの生活を脅かしていると映る。声を上げることはなくても肌で感じているのだ。

 ではこの状況は欧州にとっての脅威なのか。欧州が崩壊するかのような言説があるが、その根拠は薄弱だ。確かにEUも共通通貨ユーロも構想時の理想通りには進んでいない。だからといって元の体制に戻るのか? 戻りたい国などない。離脱を決めた英国も強硬な離脱を実現するとは私には思えない。

 一方で現在の欧州の指導者たちは、(戦後の独仏関係を修復した)ドゴール元仏大統領やアデナウアー元西独首相など過去の卓越した政治家と比べて深い洞察や想像力、指導力もなければ戦争の経験もない。現状をうまく切り抜けられるかといえば、悲観せざるを得ない。【聞き手・ブリュッセルで八田浩輔】

人物略歴 Karel van Wolferen 1941年オランダ生まれ。72年からオランダ紙の東アジア特派員を務め、東京を拠点に80年代には日本外国特派員協会会長も務めた。「人間を幸福にしない日本というシステム」など日本に関する著書も多い。アムステルダム大名誉教授。


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混沌たる世界を問う 4 [スズムシ日記]

「米国第一」にくさびを 

日本総合研究所国際戦略研究所理事長・田中均氏

 第二次世界大戦後、いくつかあった大きな変動の一つだと思う。東西冷戦、その後の米国一極体制から続く大きな流れの中で、反グローバリゼーションが加速している。

 グローバリゼーションは、世界的に見れば新興国の国力を上げて所得を平準化した側面があるが、先進国内で見れば富の格差が顕在化した。

 そういった国民の不満を政治権力につなげていくのがポピュリズム。欧州ではBREXIT(英国の欧州連合離脱)や右翼勢力台頭の背景となった。そうした反グローバリゼーションの変動は米国のトランプ大統領誕生によってさらに加速されると思う。

 一方で、現実の国際関係や経済への影響を考えたとき、反省や揺り戻しもあるかもしれない。ポピュリズムというのは国内政策の延長であり、まず国内が第一。トランプ現象も米国第一。BREXITも英国第一。ロシアや中国はもともと自国第一。それが前面に出たときには当然、ぶつかり合う。これからの国際秩序がポピュリズム対ポピュリズムのぶつかり合いになっていくのか、よく監視しなければならない。

 トランプ政権がどうなっていくかが日本にも著しく影響を与える。中国や北朝鮮など体制が異なる国との関係では、民主主義、国際協調主義といった普遍的な価値を尊重する我々に大きな分があったわけだが、トランプ政権では「価値より利益」「理念より取引」となって、それが希薄になる可能性がある。

 外交のリアリズムというのは、国益重視であっても、国際協調主義を旨としなければならない。

 米軍の前方展開政策というのは地域の平和を抑止力によって保ち、中長期的な米国の国益に資する。在日米軍は日本を守っているのだから駐留経費は全額、日本が払うべきだという短絡的な議論がまかり通ってはならない。米国の雇用をどれだけ増やすかという観点だけでは、中長期的に自由貿易を進めることで各国の競争力を効率的に高めていく従来の貿易政策と相いれない。

 米国が独りよがりな自国中心主義に陥らないように、日本は日本としての考え方を伝え、米国の考え方を修正していくことも必要になるのではないか。

アジア関係をテコに

 安倍晋三首相は統治経験も長く、極端な外交政策をとらない安心感がある。当初は過去の歴史問題を巡って近隣諸国との関係が深刻になるのではないかと懸念されたが、現実的な国際協調主義、中長期的な国益の観点から修正してきた。

 ただ、トランプ政権は従来のように同盟を第一に考える米政権ではないかもしれない。米国に修正を求めていくためにはテコを持たなければならない。それはアジアとの関係だと思う。

 近年、アジアの国々が日本を見る目が熱くなっている。米国は本当に信頼できるのかという思いが東南アジア諸国にあることは、フィリピンインドネシアの行動を見れば明らかだ。戦後の日本が一貫して築いてきた協力関係が米国以上の信頼感を生んでいる。

 アベノミクスも近隣諸国との経済関係が基本にある。最大の貿易先は中国であり、中国との関係抜きでは考えられない。もちろん、中国の覇権を日本が認めることはあり得ないし、安全保障体制を強化していく必要もある。だが、それだけで日本の安全が担保されるわけではない。

 これまでは、対米関係を強化すれば他の国との関係もついてきたし、それが中国のより侵略的な行動を抑止するテコになったことも間違いない。その米国にトランプ政権ができるという現実と、その背景にある国際秩序の変動を認識し、日本自らの中長期的な国益に資する外交戦略を練り直していく必要がある。

 最近の日本外交は東南アジア諸国との関係もロシアとの関係も「中国をけん制するため」という観点ばかりで語られる。極めてマイナスだと思う。中国と共存していくため、軍事的な信頼醸成、貿易・投資の枠組み、環境政策など協力分野を積極的に拡大していく。日本が中国との関係で明確な方針を示し、アジアとの関係をより緊密にすることが、米国を建設的な軌道に乗せるテコになる。

 日本はかつてポピュリズムのなれの果てで戦争した。その反省から戦後は民主主義という普遍的価値に忠実に生き、平和主義に基づく国際協調主義を外交の柱としてきた。この原則を忘れず、アジアでその役割を果たすことが日本の力を高め、ポピュリズムにくさびを打ち込むことにもなる。【聞き手・平田崇浩】


■人物略歴 たなか・ひとし

 1947年生まれ。京都大法卒。外務省アジア大洋州局長、外務審議官などを経て2005年退官。10年より現職。日本国際交流センターシニア・フェロー、東京大公共政策大学院客員教授を兼務。著書に「外交の力」「日本外交の挑戦」など。


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混沌たる世界を問う 3 [スズムシ日記]

「リーマン後」の課題 ビル・エモット氏(ジャーナリスト)

 米大統領選挙のドナルド・トランプの勝利も、英国民投票でのEU離脱も、エスタブリッシュメント(支配層)に対する人々の反発の表れだ。敗れたヒラリー・クリントンは四半世紀も米政治の中心にいて、経済を牛耳るウォール街にも近かった。英国でEU残留を訴えていた人々の多くは、EUと協力関係を築いていたエスタブリッシュメントたちだった。

 こうした反支配層感情の根は、米投資銀行リーマン・ブラザーズの経営破綻に端を発した2008年の世界経済危機にある。エリート層は危機を引き起こし、対応もまずかった。金融機関には公的資金が投入されたが、失業した庶民は十分に救済されなかった。人々に根深い不平等感が生まれ、ポピュリズム(大衆迎合主義)の拡大を招いた。それはフランスなど欧州での極右政党の伸長や国家主義の高まりにも影響している。世界は「2008年後」の課題に向き合っている。

 トランプの勝利は反グローバリズムの反映ではあるが、私は彼が実際に過激な保護主義政策を取ることはないとみている。自由貿易は米国の経済成長に不可欠で景気が低迷すれば支持を失う。TPPからの離脱は、ライバルの中国を利することにもなりかねない。移民規制も選挙で支持された労働者向けパフォーマンス程度に行うだけだろう。移民労働力が減れば企業の不評を買う。

 一方、英国のEU離脱は反グローバリズム現象ではない。離脱派の多くはEUの規制を嫌い英国の「主権回復」を求めつつ、自由貿易で繁栄する伝統やり方は維持可能と考え投票した。背景には経済危機後に英国が早く回復し、人々がEU加盟に経済的利益を感じていなかったことがある。

 反グローバリズムはある種危険な思想だ。人々の生活は自由貿易や国際的な技術協力などが支えている。国は完全に閉ざせない。一方、(グローバル経済から)取り残された石炭労働者や鉄鋼所作業員をどうするかは大いなる課題だ。

 経済危機を巡る状況は、民主主義の失敗だ。社会の大多数の声が反映されなかった。だが、問題を解決する唯一の望みは民主主義だとも私は信じている。経済は、技術革新などにより長期的には改善するはずだ。ただ、1930年代には世界的な恐慌から保護主義が台頭し、戦争につながった。同じ危険性がないとは言えない。【聞き手・岩佐淳士】=つづく

■人物略歴 Bill Emmott
 1956年ロンドン生まれ。英オックスフォード大卒。英週刊誌「エコノミスト」東京支局長、同誌編集長を経て、2006年に独立。日本のバブル経済の崩壊を予測した「日はまた沈む」(90年)など著書多数。16年に「旭日中綬章」受章。

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混沌たる世界を問う 2 [スズムシ日記]

複数の大国、共存せよ 

アンドルー・バセビッチ氏(ボストン大教授、国際関係史家)

 米国は世界で最も力がある国だが、唯一の超大国との認識は間違っている。中国は急速に力をつけている。21世紀の国際政治は、こうした力のある国々が平和的に共存する道を探ることが最重要課題となる。ただ次期米大統領のドナルドトランプに、そうした認識があるか疑わしい。トランプの最大の特徴は主張に一貫性がないことだ。月曜日に言ったことと全く逆のことを水曜日に言う。それが矛盾であることすら気がついてない。オバマ大統領が進めた医療制度改革や、尋問手段に拷問を復活させる案も覆している。外交政策も予測不能だ。    

 トランプは、NATOの変更も示唆している。歴代の米政権はNATO諸国に負担増を求め続けており、トランプの「安保ただ乗り」批判論は、目新しくはない。個人的には、米国は欧州から撤退すべきだと思う。NATO発足は第二次世界大戦直後の1949年。欧州は豊かになり、米国と東西冷戦を戦った超大国ソ連は、地域大国ロシアになった。状況は変わった。ただ、NATO諸国に侵攻することは許さないとのメッセージを、ロシアに明確に伝える必要はあるだろう。 

 次期政権は米露の関係改善を模索するが、両国が友人関係を結べるという考えは幻想に過ぎない。ただ、敵対関係より、友人でも仲間でも同盟国でもない関係での共存が望ましい。トランプ氏はロシアと「仲間」になろうとしているのだろう。米国では「米露両国が新たな冷戦に入る」との論調が主流だ。

 一方、米国はイラクとアフガニスタンの戦争を戦い、6兆ドル(約700兆円)以上を費やした。だが、米国にも中東諸国にも得るものは何もなかった。米軍の役割を含め見直す時期が来ている。サウジアラビアやイランなど中東諸国が一致団結して、過激派組織「イスラム国」(IS)など共通の敵に対処すべきだと思う。第二次世界大戦では、主義主張が全く異なる米英ソがナチス打倒で団結した例もある。説得役を務めるのが米国の役割だろう。

 アジアの状況は異なる。米軍が撤退すれば、著しい不安定化を招く。日本や韓国は「米国に捨てられた」と感じるのは間違いない。日本の技術水準があれば、核武装も可能だろう。そんなことを望む人はいない。米国にとってアジア・太平洋地域の重要度は中東よりもはるかに高い。【聞き手・ニューヨークで会川晴之】 


■人物略歴 Andrew Bacevich

 1947年米中西部イリノイ州生まれ。陸軍士官学校卒。ベトナム、湾岸戦争に従軍し退役。プリンストン大で博士号。ジョンズ・ホプキンズ大などで教壇に立ち、98年から現職。2003年開始のイラク戦争を「致命的失敗」と痛烈に批判した。


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渾沌たる世界を問う 毎日新聞 [スズムシ日記]

渾沌たる世界を問う ジャック・アタリ

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スズムシ:毎日新聞が3日から表記を主題とした特集を組もうとしている。世界の知性は、どのようにアクションを開始しようとしているのか?評論で終わるのか。日本の柄谷は、そのようなスタンスから逸脱し、昨年にはデモの先頭に加わった、そして、9条を武器にして日本は世界と対峙すべきだと論じている。その主調に僕も同調する。毎日の特集の冒頭には次ぎのような序章が書かれている。「テロや内戦、ポピュリズムの大波にうたれ、2017年を迎えた渾沌たる世界。我々はどこに向かうのか。各国の知性に問うた。」と。アタリの言い分を繙いて見よう。

変質容易な「液状社会」

欧州連合(EU)離脱を決めた英国、大統領選でドナルドトランプ氏が勝利した米国が示すように、世界ではグローバリズムを拒絶し、保護主義を好む傾向が広がっている。また、欧州や混迷を深める中東などで相次ぐテロは、一瞬で現状を変化させる。日本もテロに見舞われれば、排外主義的な政府が誕生しうる。我々の住む現代社会は変質しやすく、液体のように極めて流動的な「液状社会」となったと言える。

 米国などで保護主義が高まる背景には、経済市場は世界規模だが、民主主義は世界を包括する規模ではなく政治が国家単位にとどまることがある。各国の選挙で選ばれた指導者は国境のないグローバル市場を変えられず、国内に生じたひずみに対処できない。富の一極集中で格差是正は不可能となり、失業や格差にあえぐ人々の不満が増大する。

 液状社会では、こうした不満を抱く有権者が、新しい物を欲する「消費者」のように振る舞う。国境を閉じて市場を国内にとどめようと、新たな指導者を「買い」求めるのだ。それがEU離脱を決めた英国や、トランプ氏が大統領となる米国が象徴するポピュリズム(大衆迎合主義)の源だ。

 トランプ次期大統領誕生で米国はロシアとの関係改善に動き出す一方、中国との関係悪化が現実味を帯びる。巨大軍需産業を抱える米国は常に「敵国」を必要としてきた。敵国役を務めてきたロシアと関係改善に乗り出せば、中国がロシアに代わる可能性がある。かつて自国と周辺国に関心が集中していた中国は、今や軍拡を続けて対外的に力を誇示し、米国と対峙する姿勢を打ち出している。米中の対立で太平洋は「不和の海」となる。太平洋で中国との「前線」に位置する日本は、米国の同盟国として難しい立場に置かれる。

 また欧州では、既成政党を批判するイタリアの新興政治団体「五つ星運動」が英国に次ぎイタリアをもEU離脱に導きかねない。イタリアを失えばEUは危機を迎え、ナショナリズムの再興を招く。仮にEUが瓦解すれば、1世紀の間に3度も戦火を交えたドイツフランスの間で、何が起きても不思議ではなくなる。

 我々は、非常に不安定な世界で生きていくことを、学ばなければならないのだ。【聞き手・パリ賀有勇】


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耕論 わたしたちはどこに向かおうとしているのか [スズムシ日記]

2017年元旦。朝日新聞は山極さんと川上さんの対論。日本もアメリカもトランプ効果を狙って株価が上っている。まったくおかしな世界になったもんだ。金融資本主義の成れの果て と 僕は 思う。 みてごらん。中国はあのどんちゃん騒ぎが鳴りを潜め始めた。そんなにうまくいくもんじゃない。地球はかぎられているのだからね。
お二人の主調はなかなか すてきだな と 思う。 全部提出しちゃいます。 お屠蘇気分で全部読み切れるかな?
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 未来へと続く坂を上っていけば、よりよい世界が待っている。そう思っていた。でも、いつのまにか社会は息苦しくなり、争いはやまない。欧州や米国では昨年、予想もしなかった変化も起きた。2017年のはじまり。私たちは、どこへ向かおうとしているのか。見通しにくい未来でも、希望はあるのか。

ありえない幸運、よりよく生きたい 川上弘美さん(作家)

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 遠い未来、極端に数が減って滅びかけている人類が人工知能(AI)やクローン技術の助けを借りて、生き延びようとする――こんな世界を描いた小説「大きな鳥にさらわれないよう」を、昨年春に出しました。

 書こうと思ったきっかけの一つは、2011年の東日本大震災。揺れた瞬間に、「逃れられないものが来た」と感じました。大きな災厄から人間は逃げられないのだな、と。

 もう一つは、4年前に少しこみ入った手術をして、「自分も死ぬのであるな」と、しみじみ実感したことでした。人類全体だって同じ、栄え続けるわけではない、いつかは滅びるのだ、と。

 01年には、アメリカの同時多発テロもありました。世界が一定でそのままあるわけではないと、ひときわ強く感じることが、生きていると常にやってくる。

 まわりのいろいろな人、若い人も年のいった人も、どこか、みんな苦しそうです。その苦しさって、「こういうふうに生きれば、うまくいく」というような、一般論では解決できないものではないでしょうか。

 いい大学に入って、いい会社に終身雇用で勤める、女の人は結婚して家庭に入る。昔は確固とした一般論やモデルがあって、従っていればある程度の充実感や達成感は得られました。いまは、モデルは一応まだあるけれど、そのモデルに乗っても、自分の「物語」を見つけられなくなっています。

 自分で物語や方向を見つけられる瞬間もあるけれど、世界が複雑すぎて、見えていた灯(あか)りが、次の瞬間にはどこかへふっと消えてしまうような心もとなさがある。手で確かめられる範囲のことを、ていねいに大切におこなっていくだけではだめなのではないか、という不安がきざすのは、世界を把握するのがとても難しくなっているからではないでしょうか。

 不安だから、未来を知って支配したい。それも人間の性(さが)です。話題のAI、また遺伝子操作や原子力は、元々は研究者たちの純粋な探究心から発見された論理や技術を使ってできたものですが、社会を動かす道具として使い始めると、両刃の剣となってゆく。

 研究者に「AIのいちばん怖いところは、どこですか」と聞いてみたことがあります。「AIに『地球にいちばんいい環境とは何か』を考えさせると、『人類が最も悪影響を及ぼすので、排除しよう』という結論になることです」との答えでした。

 遺伝子操作も同じ。人間よりもさらに優れた存在をつくり出したら、いまいる私たちは駆逐されてしまうかもしれない。そんな技術が生み出されてしまった時点で、もう、後戻りはできない。

 でも、人間って、自分の手に負えないものを発明したり、探求したりせずにはいられない。そこが、小説家としては非常に面白いところです。人間は矛盾していて、自己破壊的で、でも愛すべきものだと思うんです。

 小説の中で、人類はなんとか進化しようとするけれど、結局、なかなか変われない。でも、変わらないのを憂えても、仕方がない。

 私たちには、何千年もの歴史の蓄積があって、多くの新しいシステムが次々に生み出されている。なのに、世界がすばらしいものになりつつあるとは、なんだか思えないのは、なぜなのでしょう。

 人類全体がどんなところに向かっているのか、私にはわかりません。上り坂にいるのか、下り坂なのか、実感もできない。同じ時代に、同じところに生きていても、人によって感じ方は違います。やっぱり、一般論ではわからない。

 人間は何千年も前から変わっていない。人類が数百万人しかいなかった大昔と、世界で70億人にもなったいまですが、人類という種に大進化は起こっていない。文明があらわれた後も、実は似たようなことをずっと繰り返している。

 「近ごろの若者は」という言葉も、何千年も昔から言われ続けてきたみたいですし。そう考えると、人間って、情けないような、でも反対に親しみがわくような。

 生物の種がずっと生き残り、個体の数が増えていくのは、ものすごくラッキーなこと。人類全体も個人も、幸運に支えられたからこそ、今ここにいられるんだと思うんです。死んだ祖母がよく、「生きてるだけでまるもうけ」と言っていたことを思い出します。魚は何万個も卵を産むけれど、ほんの少ししか生き残らない。生き残るってすごいことなんです。それだけで、ありえない幸運なんです。

 そんな偶然によって生かされているなら、よりよく生きたいなあと、ことに年齢を重ねてきた最近しみじみ思います。でも、よりよく生きるって、具体的に何なのか? 結局私には、毎日普通に生活することしかできません。いろいろなものを見る、聞く、やってみる、食べる、しゃべる。そういうささやかなことを、素通りしないでじっくりおこなっていく……

 災害や不幸をなくすことはできないけれど、極端に理不尽なことが起こらない世界になってほしい。原発事故で避難した人や、紛争から逃れてきた難民のように、生まれ育った土地に住めなくなり、よそへ行かなくてはいけないのは、本当に理不尽なことです。

 生まれ育った土地で喜怒哀楽を素直にあらわしながら、普通に生活ができるという、本当にささやかな幸せをみんなで求めていくことができる世界に、住みたいのです。どうすればいいのか、私にはわからないけれど、あきらめず、そして忘れずに、なのかな。人間って、素晴らしくもないけれど、悪くはないものなのですから。

 かわかみひろみ 1958年生まれ。生物教師を経て作家に。主な作品に「蛇を踏む」(芥川賞)、「センセイの鞄(かばん)」(谷崎潤一郎賞)など。

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極大化した不安、共に過ごす時間を 山極寿一さん(霊長類学者、京都大学総長)

 安心が消え、不安が極大化した時代。私はいまを、そうとらえています。

 人類の進化の歴史を振り返ってみましょう。アフリカでチンパンジーとの共通祖先から枝分かれしたのは700万年前。大型肉食獣に襲われる恐れのない樹上空間があり、実り豊かな熱帯雨林の中でした。450万年前頃からサバンナへ進出した。霊長類ヒト科の中でヒトだけが世界中に散らばるきっかけです。サバンナは逃げ場がなく、さぞ不安だったでしょう。

 狩猟具を持ったのは50万年前、大きな獲物を協力して狩るようになったのは20万年前です。人類の歴史のほとんどは、肉食獣から逃げ隠れし、集団で安全を守り合う時間でした。安全イコール安心です。だから人間の体の奥底には、互いに協力しないと安心は得られないことが刻み込まれ、社会性の根深い基礎になっています。安心は決して一人では得られません。

 安心をつくり出すのは、相手と対面し、見つめ合いながら、状況を判断する「共感力」です。類人猿の対面コミュニケーションを継承したもので、協力したり、争ったり、慮(おもんぱか)ったりしながら、互いの思いをくみ取って信頼関係を築き、安心を得る。人間だけ白目があるのも、視線のわずかな動きをとらえ、相手の気持ちをよりつかめるように進化した結果です。

 脳の大きさは、組織する集団の人数に比例します。構成人数が多いほど高まる社会的複雑性に、脳が対応しました。現代人と同じ脳の大きさになったのは60万年前で、集団は150人程度に増えていました。年賀状を書くときに思い出す人の数、常に顔を覚えていて、信頼関係を持てる人の数とほぼ同じですね。言葉を得たのは7万年前ですから、言葉なしに構築した信頼空間です。日頃言葉を駆使し、人間関係を左右していると思うのは、大きな間違いです。

 現代はどうでしょう。集団とのつながりを断ち、集団に属することで生じるしがらみや息苦しさを軽減する。個人として存在しやすいように技術は進み、経済成長を実現してきました。次々にマンションが建ち、個人は快適で安全な環境を得ましたが、地域社会の人のつながりはどんどん薄れた。

 直近では、人々はソーシャルメディアを使い、対面不要な仮想コミュニティーを生み出しました。人間の歴史の中にない集団のつくり方です。嗜好や時間に応じ、出入り自由なサイバー空間で「いいね!」と言い合い、安心しあう。現実世界であまりにもコミュニティーと切り離された不安を心理的に補う補償作用として、自己表現しているのかも知れません。でも、その集団は、150人の信頼空間より大方は小さく、いつ雲散霧消するかわからない。若者はますます、不安になっています。

 クリスマスを一人で過ごす若者の中に「一生懸命働いた自分へのご褒美」に、自分に高級レストランを予約する人もいると聞いて考え込んでしまいます。人間は他人から規定される存在です。褒められることで安心するのであって、自分で自分を褒めるという精神構造をずっと持たなかった。それがいま、少なからぬ人々の共感を呼んでいる。やはり人間関係が基礎部分から崩れていると感じます。

 土地とも人とも切り離され、社会の中で個人が孤立している時代です。人類はどうやって安心を得たのか、生身の体に戻って確かめるために、霊長類学が必要とされているのでしょう。

 大気汚染や原発事故など、安全と安心を与えてくれると期待された科学技術への信頼は低下しました。一方で遺伝子を組み換えて食料の生産性を上げ、AI(人工知能)は人間の思考力を早晩上回るという。自ら開発したものを制御できるのか、「人間はこのままでいられるか」という、壮大な不安のただ中にいる。しかも、その不安を解消する手段を持ちません。

 ビジネスも、不安をあおり立てることで成り立っています。保険防犯システムに限りません。「ファッションが流行遅れかも」といった、他人から下に見られるかもしれない、社会の負け組になるかもしれないといった不安を、企業はあの手この手で刺激し、解消策を商売のタネにする。

 種々の不安は大きくなり続け、とどまることがない。「不安の極大化」とは、そういう意味です。

 人々が信頼をつむぎ、安心を得るために必要なのはただ一つ。ともに時間を過ごすことです。その時間は「目的的」であってはなりません。

 目的的とは「価値を得られるように過ごす」こと。いまは短時間でより多く価値を増やすことが求められますが、安心を得るのに必要なのは、見返りを求めず、ただともに過ごすこと。互いに相手に時間を捧げる。赤ちゃんに対するお母さんの時間がよい例です。

 昨今は同窓会ブームだそうですが、長い時間をともにした同級生となら、顔を合わせるだけで信頼関係を取り戻せる。心の底に安心できない自分がいる裏返しです。

 類人猿にはない、人類の進化の謎の一つに「プラトニックラブ」があります。子を残せないから生物学的にはムダなのに、熱い情熱と長い時間を注ぐのは、思い合うことが信頼や安心をもたらしてくれるから。人間は、一人ではどうにも生きられない存在なのです。

 グローバル化で社会が均一化すると、逆に人々の価値観は多様化する方向へ向かいます。個人が複数の価値観を備え、自分が属する複数の集団でそれぞれのアイデンティティーを持つようになります。そうした時代には、五感をフル出動させた人間関係のつくり方がさらに重要になるでしょう。

 やまぎわじゅいち 1952年東京生まれ。78年からアフリカでゴリラの野外研究を続け、類人猿の行動や生態を基に人類社会の由来を探る。


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茂木さんの蝶の話 [スズムシ日記]

スズムシ:茂木さんはイラストをえがくのだが、まったく蝶へたくそ。ヘタウマとも言えない。でも平気の兵座。見てごらん。
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アカボシゴマダラとゴマダラチョウ

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最近の東京は、すっかりアカボシゴマダラだらけになってしまった。これは、子どもの頃から蝶を追いかけてきたものにとっては、かなり驚異的な「変化」である。世の中は、思いもかけないかたちで面目を新たにするものだなあと感じる。



 一般の方にとっては大したことではないと思うけれど、蝶好きは、周囲で飛んでいる蝶の種類が変化するといったことに、まるで世の中で革命が起こったような印象を受けてしまうのである。



 子どもの頃、アカボシゴマダラと言えば、日本では奄美大島の特産種に決まっていた。関東にいる蝶はゴマダラチョウであり、羽に赤い星のあるアカボシゴマダラは、まだ見ぬ、幻の蝶だった。



 それがいつの頃からか、東京近辺でもアカボシゴマダラが発生しているらしいという「噂」が入り始めた。あちらこちらで目撃されているらしい。元々は奄美大島以外の産地から人為的に持ち込まれたものという説もある。



 生まれて始めて東京のアカボシゴマダラを見た時の衝撃は忘れられない。



 ランニング中だった。やたらと白い蝶がゆったりと飛んでいるなあ、と思った。赤い星は余り目立たなかった。それが、アカボシゴマダラだったのである。

 私は、子どもの時からありとあらゆる蝶を見ているから、「動体視力」が発達している。飛んでいる姿を見てその蝶の種類がだいたいわかるのである。



 しかし、その、白い印象のゆったりと飛ぶ蝶が何なのかよくわからなかった。ひょっとしたら、と追いかけてその蝶がとまるのを待った。とまった姿を確認すると、やはりアカボシゴマダラだった。



 生まれて初めてアカボシゴマダラを見た、その興奮と感激は忘れることができない。「あり得ないこと」が起こっているように感じたのである。



 そのアカボシゴマラダ、本当に普通に見るようになった。



 ある時、四ツ谷駅付近を歩いていたら、ふわっと白い姿が見られた。アカボシゴマダラだった。こんな都心にまでと驚いたが、案外強い生命力を持っているのかもしれない。



 何しろ定着してからまだ日時が経っていないので、アカボシゴマダラの行動などに対する「感覚知」ができていないのだが、ゴマダラチョウとはだいぶ様子が違うようにも見える。どちらかと言えば、毒のあるマダラチョウ類に擬態しているようにも感じられる。



 アカボシゴマダラの食草はエノキであり、ゴマダラチョウと重なる。そのこともあって、生態学的にはある程度の競合が見られる可能性もある。



 気のせいか、最近ゴマダラチョウの個体数が減ってきているようだ。今後、アカボシゴマダラとゴマダラチョウの関係がどうなるのか、一般の方にとってはどうでもいい話なのだと思うが、私としては気になるところである。



 




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日本会議19 [スズムシ日記]

保守運動をつなげた実務力 20161212

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日本会議が主導する「美しい日本の憲法をつくる国民の会」などが東京で開いたフォーラムは各地で中継された。名古屋市で、ジャーナリストの櫻井よしこの講演を視聴する参加者。


 自民党タカ派の重鎮だった奥野誠亮(せいすけ)が11月16日に亡くなった。103歳だった。

 衆院議員を13期務め、文相や法相を歴任。国土庁長官だった1988年5月の衆院決算委員会で「日本に中国侵略の意図はなかった」などと発言し、長官を辞任した。

 すかさず集会を開いたのが、日本会議の前身の「日本を守る国民会議」だった。運営委員長で作曲家の黛敏郎は、奥野が靖国神社についても「誰を祀るかは靖国が決める」と発言したことを挙げて「まったくの正論で、批判の余地はない」と擁護した。

 奥野は「みんなで靖国神社に参拝する国会議員の会」の元会長。自民党靖国神社問題小委員長も務め、首相や閣僚の靖国参拝は「合憲」との見解を84年に出して、中曽根康弘(98)の公式参拝に道を開いた。黛たちにとっては先達的存在なのだ。

 奥野が辞任した年の夏、国民会議は東京裁判史観の払拭をうたったキャラバンを全国に走らせた。先々で黛監修の映画「靖国のこころ」を上映。「外圧に屈している現状に不満をもつ人々がたくさん訪れた」と機関誌は記す。

 地方から中央へ。70年代の元号法制化運動以来の手法は、日本会議が引き継いだ。

 2004年秋、私(朝日新聞社 記者:藤生)は初めて日本会議を取材した。訪れた先の一つが熊本市だった。日本会議が中心になって04年11月に東京で開いた「教育基本法改正を求める中央国民大会」で、熊本は全国最多の43市町村議会で意見書を採択したことが紹介されたからだ。

 日本会議熊本の理事長が応対してくれた。「教育、拉致、国防、憲法といった国家にかかわる決議に携わると、地方議員の意識が国家と直結して、取り組みが変わる」

 いま改めて、その言葉の意味に気づく。地元に根をはる議員の意識と行動が変われば、草の根運動の勝負ともいわれる憲法改正国民投票で、「戦力」として期待できる。そんな将来を見越した発言ではなかったか。

 戦略にたけ、時代も後押ししたとはいえ、日本会議事務総長・椛島有三(71)たちが政権中枢に接近するまでになったのはなぜだろう。

 「生長の家」の元信者で、椛島と共に学生運動を闘った「一水会」元代表・鈴木邦男(73)の話は納得がいく。

 民族派の世界では、「俺は国のために死ぬ」などと勇ましいことを言う者が尊敬される。一方、実務能力があっても「事務屋」と呼ばれ、軽んじられがちだという。

 そうした気風のなかで、椛島たちは学生時代からビラを配り、新聞を作り、選挙で自治会を掌握した。「左翼のマネばかりするな」といわれながらも、署名を集め、地方議会の決議を積み上げた。とにかく「まじめ」。仕事ぶりで保守派の信頼を獲得し、政権中枢への足がかりをえた。

 連載の初回で、長崎大名誉教授の舟越耿一(ふなこえこういち)(71)の言葉を紹介した。「散発的に見えた保守運動は実は連携していた」。その見方は正しかったのだと思う。


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日本会議 18 [スズムシ日記]

女系天皇、揺れた保守 2016129

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皇室典範改正に反対する集会。歴代天皇の系図を手にとる参加者も(0621日 憲政記念館)



 民主党政権だった2012年5月30日、「皇室の伝統を守る国民の会」が東京で設立総会を開いた。会長は日本会議第3代会長の元最高裁長官三好達(とおる)(89)だ。

 当時の野田政権は、「女性宮家」の創設を検討していた。三好は強く批判した。

 「有史以来一貫して守られてきた男系による皇位継承を改変することは、国家の連続性を断ち切る革命に等しい」

 女性宮家を創設すれば女系天皇の容認につながる、という危機感があった。

 実は、この日は2度目の「設立」だった。小泉政権下の06年、首相の私的諮問機関がまとめた女性・女系天皇を認める報告書に反対して発足したが、秋篠宮家の長男誕生で休眠状態になっていた。

 女系天皇を認めるかどうか。この議論は、日本会議を含む右派・保守陣営に亀裂を生んだ。男系維持とする側から総攻撃された論客の一人に、歴史学者で元皇学館大学長の田中卓(たかし)(92)がいる。

 皇国史観の中心的存在だった東大教授の平泉澄に師事。「YP(ヤルタ・ポツダム)体制打倒」をいち早く訴えるなど、民族派運動の理論的支柱として知られる。

 「男系女系、どちらもすばらしいと言った。男女の産み分けはできない。それが人生です。天皇家にだけ男系男子を求めたら無理がくる。そういう意味なのに『女系派』『左翼』とか非難されてね、驚いた」

 田中は、日本会議事務総長・椛島有三(かばしま)(71)の若き日を知る人物でもある。

 左翼全盛の1960年代、長崎大の学生自治会を選挙で掌握した椛島らの民族派運動は反響をよんだ。69年3月、椛島を実行委員長に「第1回全九州学生ゼミナール」が長崎雲仙で開かれた。皇学館大教授の田中は翌年3月の第2回に講師として招かれた。

 「椛島有三兄が一切の世話をしてくれる。人材なり」。田中は日記にそう記した。

 2人の親交は続き、田中の見立ては当たる。民族派学生組織「全国学生自治体連絡協議会」の中心だった椛島は70年11月、そのOB組織「日本青年協議会」を結成する。「日本を守る国民会議」事務局長を経て、97年には日本会議の事務方トップに立った。

 「彼がやるなら、日本会議は間違いない」。そう思っていた田中が、椛島の立場をおもんぱかるようになったのは女系天皇をめぐる論議が起きたころからだ。

 田中によると、椛島は当初、「皇位継承問題で、日本会議は運動しない」と話していたという。だが、06年の椛島からの年賀状には「約束を守れませんでした」との添え書きがあった。

 日本会議は女系天皇を認めない姿勢を強め、田中を論文などで批判する教え子も現れた。3年前の田中の新書「愛子さまが将来の天皇陛下ではいけませんか 女性皇太子の誕生」にも日本会議側は強く反発した。

 田中は残念がる。「椛島君は組織に絡め取られたようだ。言いたいこと、やりたいこと、今の彼にはできないのじゃないかな」


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日本会議 17 [スズムシ日記]

自民下野「保守は結束しろ」 2016128

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新生党が政権奪還 初閣議に臨む 細川総理 公明党石田 新生党羽田(9389日)

 日本会議は1997年5月30日、「日本を守る国民会議」と「日本を守る会」が統合してできた。国民会議は元号法制化運動から発展し、守る会には右派の宗教人が多く属していた。

 その約2カ月前、東京で開いた国民会議最後の総会で、議長の作曲家・黛敏郎が体調不良をおして登壇した。黛は日本会議の会長に就任予定だった。「新しい力を手に真の世論を形成していくべきだ」

 だが3週間後の4月10日、黛は肝不全で死去。初代会長にはワコール創業者の塚本幸一が就任し、日本会議は東京のホテルに約千人を集めて設立大会を開いた。

 なぜ、この時期に日本会議が結成されたのか。

 当時の自民党参院幹事長・村上正邦(84)の後援会長は、黛が務めた。その村上が後年、理由の一つとして、細川連立内閣誕生に伴う公明党の政権入りを挙げていた。

 改めて村上に確認した。

 「そう、一つには公明党創価学会対策です。『学会には天下を渡さない』。そういう教団は多かった。創価学会に負けるな、自民党がんばれ、保守は結束しろとね」

 立正佼成会や霊友会、佛所護念会教団など新宗教団体や神道政治連盟は、創価学会公明党への対抗上、自民党議員を中心に支持してきた。

 93年、非自民細川政権の誕生で公明党が連立に加わると、対抗心は危機感に変わった。94年には創価学会公明党に批判的な文化人や宗教関係者が「四月会」を旗揚げした。

 四月会代表幹事だった元テレビキャスターの俵孝太郎(86)は「靖国や憲法は教団ごとに考えが違う。そうした問題には触れないことで団結した。黛さんも加わってくれたんだが、度量が大きくて国民運動にはうってつけの人だった」と振りかえる。

 ところが、自民党は政権復帰後、徐々に公明党創価学会に接近する。99年に自民、自由、公明の3党連立政権が発足。その後は民主党政権を除いて、公明党は政権与党であり続けている。

 村上は渋い顔だ。「政権から出て行ってほしいと思うけれどね。日本会議公明党が内閣の脇を固める形になっちゃってね」

 「日本会議国会議員懇談会」という超党派の議員連盟がある。首相の安倍晋三(62)と副総理兼財務相の麻生太郎(76)が特別顧問で、約290人が加わる。保守運動に詳しい「子ども教科書全国ネット21」事務局長の俵義文(75)によると、テーマごとに結成される例が多い他の議員連盟とは違い、日常的に影響力を行使できる態勢をとっているのが特徴だという。

 中心は首相補佐官の参院議員・衛藤晟一(せいいち)(69)。日本会議の事務総局を担う「日本青年協議会」の黎明期に委員長を務めた。日本会議事務総長・椛島有三(71)の盟友だ。

 この日本会議国会議員懇談会のなかにも、いまや学会票なしには当選が危ういとみられる有力メンバーがいる。公明党創価学会への対抗という当初のねらいは影を潜めたように見える。

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茂木健一郎さんのブログ [スズムシ日記]

健一郎さんのブログが新シリーズを連載し始めた。幼小の頃のことが書いてあるので興味がある。元教師としては。ちょっとチョイスしちゃいます。ゆうちゃんは今何をしているのだろう。それにも興味があるぞ。

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蝶の話 弟子入り

 子どもの頃から昆虫が好きだった。

 幼少の時期の一番古い記憶の一つは、捕虫網を持って、近所でセミをとっている自分の姿である。ふしぎなことに、網を手にするその幼い様子がまるで外から見ているように記憶されている。

 うちの母は九州出身で、勉強をしろとかそういうことは一切言わない人だったが、私の心の発達に重大な影響を与えるある「決断」をした。 

 それは、大学で昆虫を研究していたゆうちゃんに私を「弟子入り」させたことである。

 5歳の時にゆうちゃんに弟子入りして、それからひっついて回った。子どもが持つには本格的過ぎる捕虫網を持ち、「三角缶」や「三角紙」を手に野山をかけまわったのである。

 ゆうちゃんは当時大学生だったが、私にいろいろなことを教えてくださった。日本鱗翅学会に入ったのもゆうちゃんの影響である。

 鱗翅学会とは羽に鱗粉がついている蝶や蛾を研究する学会で、私は小学校に上がる前に入って以来ずっと会員だった。会報誌には『蝶と蛾』と『やどりが』があり、毎号熱心に読んでいた。

 本格的に蝶をやっているゆうちゃんに弟子入りしたことは、その後の私の人生に多大なる影響を与えたように思う。

 私は今の言葉で表現すれば「オタク」だった。オタクは、孤立しやすい。

 小学校低学年で夏休みの研究を発表する「学生科学展」の常連となった私は、学校の中でも蝶のオタクとして扱われた。

 日曜日に、クラスメートの女の子から電話がかかってくる。ドキドキして出ると「ああ、茂木くん? あのね、うちの庭にへんな青虫がいるから、何の幼虫か見にきてくれる? じゃあね。」とそれだけ言われてガチャンと電話を切られる。そんな存在だった。

 あの頃自分は「キモオタ」だったのだなあと、しみじみ思い返すことがある。 

 一つのことに熱中しているオタクの子どもは、学校の中で孤立しやすい。実際、私も学校で蝶の話などをできる人はいなかった。そのような話をすると、敬遠されてしまうという雰囲気があった。

 そんな私が日本鱗翅学会に行くと、思い切り話ができる。さらに言えば、自分などまだひよっこで、もっと凄い人がたくさんいると実感できる。

 ゆうちゃんに弟子入りして日本鱗翅学会の会員になったことで、私は世界が青天井であることを知った。 

 そのことは、オープンエンドな脳の育みを促す上で、計り知れない効果があったように思う。


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日本会議16 [スズムシ日記]

「みんなで参拝」は実現したが 2016127

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敗戦の日に靖国参拝をする「みんなで靖国神社に参拝する国会議員の会」(今年815日)

 10月18日、秋季例大祭中の東京・九段の靖国神社。「みんなで靖国神社に参拝する国会議員の会」の85人が訪れた。会長の尾辻秀久(76)は「(参拝は)極めて自然なことだと思っている」と淡々と語った。

 この会は、1981年に発足した。立ち上げに奔走して事務局長に就いたのが、「生長の家」出身で参院議員に当選したばかりの村上正邦(84)。後の自民党参院議員会長だ。当面の目標は首相の公式参拝だった。

 いまは「首相の参拝は海外の反発を招くだけ。天皇御親拝こそ真の目標であり、その障害となることは自粛した方がいい」と話す村上だが、当時は膠着した状況を打開したい一心だったという。

 79年、東京裁判A級戦犯14人を靖国神社が前年に合祀していたことが報道され、大騒ぎになった。一方で、靖国の国家護持を求める運動から転じた「首相の公式参拝要請」が活発化し、反対する宗教者らが抗議をくり広げた。「靖国っていうと、同僚はみんなすくんじゃってね」

 それでも、バランス感覚にたけた後の首相・竹下登を会長に担ぎ、81年4月の春季例大祭で、約200人の参拝にこぎつけた。

 村上と共闘したのが、日本遺族会などでつくる「英霊にこたえる会」だった。76年6月に結成され、初代会長は元最高裁長官の石田和外(かずと)。78年にできた「元号法制化実現国民会議」でも議長を務めた人物だ。この元号法制化実現国民会議は81年、「日本を守る国民会議」に衣替えし、97年に「日本を守る会」と合流して日本会議を結成する。

 いまや議員の集団参拝は見慣れた光景になった。一方、当面の目標だった首相の公式参拝はハードルが高かった。

 80年の政府統一見解は「違憲の疑いを否定できない」。それでも82年に首相に就任した中曽根康弘(98)は、85年の終戦記念日に「公式参拝」に踏み切った。だが、中国韓国からの強い反発をうけ、以後は参拝を見送った。

 2年後の87年8月15日、靖国神社。「英霊にこたえる会」と「日本を守る国民会議」は共催で「戦没者追悼中央国民集会」を開いた。こたえる会会長の元検事総長・井本台吉は「首相が参拝しないのは、東京裁判史観から脱却していないことに起因している」。日本を守る国民会議の運営委員長で作曲家の黛敏郎も「英霊はこのことを許されるだろうか」と批判した。

 2001年8月15日に参拝する」と明言してきた小泉純一郎(74)が首相に就任すると、参拝運動は再び勢いづく。最も盛り上がったのは「終戦60年」の05年だった。

 日本会議事務総局に事務局がある「みんなで靖国神社に参拝する国民の会」はその夏、「20万靖国神社参拝運動」を提唱。境内を参拝者で満たし、「靖国こそ慰霊追悼の中心施設であることを内外に示す」と趣意書は記す。

 しかし小泉以降、首相参拝は途絶える。安倍晋三(62)は2度目の首相就任後の13年12月26日に参拝したが、その後は見送っている。


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日本会議 15 [スズムシ日記]

教育基本法改正、その先に憲法 2016126

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教育基本法改正案可決 一礼する伊吹文明文科相(061215日)

 元最高裁長官三好達(とおる)(89)は昨年まで、日本会議会長を足かけ15年務めた。現在は名誉会長だ。その三好が2007年、日本会議発足10年に際し、月刊誌「正論」(11月号)で振り返っている。

 「最大の成果は教育基本法改正を成し遂げたことだ」

 教育は、日本会議の前身「日本を守る国民会議」からの柱のひとつ。教育基本法改正に奔走した一人が、教育学者で明星大特別教授の高橋史朗(66)だ。日本会議の政策委員を務める。

 首相の私的諮問機関「教育改革国民会議」が00年に置かれ、教育基本法改正がテーマになる。すぐに「新しい教育基本法を求める会」を結成。会長に「ミスター半導体」と呼ばれた当時の岩手県立大学長・西澤潤一(90)を担ぎ、事務局長に高橋が就いた。

 この年9月、高橋は西澤と首相の森喜朗(79)を訪ね、「伝統の尊重と愛国心の育成」「道徳教育の強化」「国家と地域社会への奉仕」を改正法に盛り込むよう訴えた。

 日本会議も得意の戦術を展開した。地方議会決議の積み重ね、8回の国民集会、360万人超の署名……。元号法制化運動などで磨いた「地方から中央へ」の手法だ。

 教育基本法は06年12月に改正された。「公共の精神」や「伝統と文化を尊重」、「道徳心」などが盛り込まれたが、満点ではなかったようだ。

 日本会議は、「国を愛する態度」は「国を愛する心」に▽「宗教的情操の涵養」を明記▽「教育は、不当な支配に服することなく」の「不当な支配」を削除――などを求めたが、実現しなかった。

 それでも国会審議で、「国を愛する態度と心は一体として養われる」「宗教的態度の涵養は必要」「法律に基づく教育行政は不当な支配に当たらない」などの答弁を引き出し、巻き返しを果たした。

 なぜ日本会議教育問題に力を入れるのか。三好は前述「正論」で、日本の現状認識と改憲戦略を明かしている。

 「今の日本人のままでは適正な憲法改正はできない。まず教育基本法を改正し、国民意識を立て直した上で憲法改正に臨むべきだ」。憲法改正という大目標を達成するには、国民教育の充実が欠かせないとしている。

 日本会議の会長は、初代に就任予定だった作曲家の黛敏郎が急逝。塚本幸一(ワコール会長)、稲葉興作(日本商工会議所会頭)に引き継がれ、三好は01年に就任した。

 裁判官時代の三好を知る元最高裁判事弁護士は話す。「軍隊経験者で戦後、反戦に向かった人と、ますます好戦的になった人がいるとすれば、三好さんは後者。裁判官になる人は保守傾向が強いと私は思うが、あの人ほど、ずっと右側を維持した裁判官も珍しい」

 三好の思想を表す判決がある。1997年4月の「愛媛玉串料訴訟上告審で、「合憲」とした反対意見だ。「国や自治体の長が戦没者を手厚く追悼するのは当然の礼儀、道義上の義務」「戦没者すべての御霊(みたま)を象徴するものは靖国神社以外に存在しない」と述べた。

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日本会議 14 [スズムシ日記]

なぜ神奈川で強いのか 2016125

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育鵬社の教科書を選んだ横浜市教委の定例会の音声中継を聞く市民(1585日開校記念会館)


 「新しい歴史教科書をつくる会」から分かれた「日本教育再生機構」。そこが編集にかかわる教科書が、抜群に強い地域がある。神奈川県だ。

 発行は育鵬社。2016年度から中学生が使う歴史と公民の教科書で、育鵬社版の占有率はともに38.7%(県教委調べ、私立を含む)。全国では歴史6.3%、公民5.7%なので、突出している。

 立役者は、日本会議神奈川の副運営委員長だった。「教育を良くする神奈川県民の会」の運営委員長を兼務する木上(きがみ)和高(70)だ。「5年前に横浜市藤沢市を押さえて、一気に伸びた」

 県民の会は、育鵬社版と「つくる会」系の自由社版のいずれかが採択されるよう環境整備を進めてきた。

 教科書採択は、教員や識者らでつくる審議会などの事前調査を参考に、教育委員会が選ぶ形が一般的だ。木上たちは、自治体の教育委員に、伝統文化や道徳心、愛国心の3点を選定基準にするよう働きかけた。並行して、教委が審議会の事前調査を追認したり、労組に屈したりしないよう、改善を求めて回った。

 「要するに、教育委員が自ら選べば、おのずとよい教科書が採択されるという環境をつくった」と木上はいう。

 決定後のフォローにも抜かりはなかった。「横浜市の教育委員会の見識に深い敬意を表します」。そんなチラシを横浜駅関内駅の前で配り、住宅街では郵便受けに入れて、教育委員を激励した。

 「左翼が教育委員を攻撃してくる可能性が高い。商売と一緒で、アフターケアの悪い品は長く売れないでしょう」

 木上は日産自動車で、生産管理や作業の効率化などに長く携わった。その経験からか、活動の中で取り除くべき障害が見えてくるという。

 学生時代はノンポリだった。65年に早大に進学したが、雀荘やビリヤード場に通いつめた。左翼のセクト名は知らないし、まして民族派学生など見たこともなかった。

 きっかけは20年ほど前、保守系オピニオン誌に載った勉強会だった。たびたび顔を出すうちに、「つくる会」などの活動に加わるようになった。中学の歴史教科書を全社買って比較した。「階級闘争史観と東京裁判史観が合体した教科書ばかり。これはひどい」。運動にのめり込んだ。

 いまでは、育鵬社や自由社以外の教科書も変わった気がする。「明らかに左翼一色の教科書が減った。成果は大きいと自負しています」

 育鵬社版の編集を支援する日本教育再生機構理事長で麗沢大教授の八木秀次(54)は昨年10月、東京での採択報告集会で、こう締めくくった。

 「ようやく一つの結果を出せた。もちろん通過点にすぎない。(この教科書が)主流になるまで運動を紡いでいかなければならない」

 教育にかかわる日本会議の取り組みは、教科書採択運動への参加にとどまらない。本丸ともいえるのが、教育基本法改正運動だった。

 先導役を務めたのが、「つくる会」を仕掛けた教育学者で明星大特別教授の高橋史朗(66)だ。

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日本会議 13 [スズムシ日記]

新しい教科書をつくる 2016122

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教科書検定に合格。記者会見を開く「新しい歴史教科書をつくる会」藤岡信勝(左)と西尾幹二、高橋史朗(0143日 永田町)

 日本会議の前身の一つが、1981年に発足した「日本を守る国民会議」だ。建国記念の日の式典を政府主催にする運動などに取り組んだ作曲家の黛敏郎も議長を務めた。

 運動の柱の一つが教育だった。80年代に歴史教科書に参入したが、大苦戦した。その後、登場したのが「新しい歴史教科書をつくる会」だ。

 96年12月、つくる会の設立記者会見が東京都内で行われた。当時、電通大教授だった西尾幹二(81)や東大教授の藤岡信勝(73)、漫画家の小林よしのり(63)と並んで、教育学者で明星大教授の高橋史朗(66)の姿があった。

 高橋こそ、つくる会を仕掛けた一人だ。反共愛国をかかげて活動していた「生長の家学生会全国総連合」の元委員長で、現在は日本会議の政策委員を務める。

 のちに日本会議事務総局を担う「日本青年協議会」(日青協)の機関誌には、高橋の論文が数多く残る。大学院生だった75年に発表した「無国籍歴史教育・その問題点」では、日教組の研修を例に、「日教組が明確な『階級史観』に立脚し、低劣な『善玉悪玉論』で徹底した『革命教育』をしているのは明らか」と主張した。

 77年には、日青協の専門局「日本教育研究所」の事務局長の肩書で座談会に登場。「若者の凄惨な爆弾闘争は、歴史の中における一体感を身につけなかった悲劇」「天皇―国家―自己の生命を貫いている根源的な価値に目覚めさせることが最も本質的な課題」などと訴えている。

 そんな高橋と藤岡が、90年代に出会う。「子どもと教科書全国ネット21」事務局長の俵義文(75)によると、近現代史の授業に関する教育雑誌の連載で藤岡が注目された94年前後のようだ。藤岡が中心になって「自由主義史観研究会」が結成された後、2人はつくる会立ち上げの原動力になった。

 しかしその後、つくる会は内紛に見舞われる。

 2005年1月、東京都心で開かれた、つくる会の集会。4年に1度の教科書採択を前に、このときはまだ高揚感で沸き立っていた。

 副会長の藤岡が切り出した。「決戦の年。情勢は有利に展開している。英霊のお力もお借りして、10%の採択を達成したい」

 つくる会主導の教科書は当時、扶桑社が発行していた。名誉会長の西尾が続ける。「地理、国語、家庭科もたいへんだ。英語にもジェンダーフリーが入り込んでいると聞く。扶桑社に一大教科書会社になってほしいぐらいだ」

 しかし期待通りにいかないことが、夏にははっきりした。中学の歴史と公民の教科書の占有率はともに1%にも達しなかった。

 責任の所在をめぐって対立が深まり、06年には現日本会議事務総長・椛島有三(かばしま)(71)に近い事務局長らが解任された。教科書も、自由社版と育鵬社版の2種類が発行されるようになった。

 しかし分裂にもかかわらず、つくる会の流れをくむ教科書は徐々に採択されるようになっていく。

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