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内田樹の研究室から 5月3日付神奈川新聞掲載 [スズムシ日記]

内田君もっともっと遠吠えしてくださいな。ぼくらの代弁者としてです。朝日も毎日も最早樹君を敬遠してるのだろうね。憲法記念日に、樹君の意見を掲載しなさい。神奈川新聞というローカルなメディアが樹君へラブコールを送った図が愉快だ。そいうえば東京のローカル紙「東京新聞」もなかなか健闘している。近頃は新聞を取らない方が増えたようだ。スマホでちゃんと見られるのだね。でも、インクの匂いの新聞紙がいいんだよ。一枚一枚めくっていく輪転機の爪の後が破れとなっているのがね。味わいがあるよ。それを再利用して、袋にして焼き芋をいれたり、枇杷の袋かけにつかったり、ね。そうそう、オイラのこども時代は落とし紙としてつかったものだね。よ〜くもんで、軟らかくしてね。樹君の最近の対談本。よんでみなくちゃなるまい。みんな未読であります。

それでは久しぶりに樹君の健闘ぶりを紹介しましょう。「属国日本論」をです。

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2017.05.03

神奈川新聞のインタビュー

憲法記念日に神奈川新聞にロングインタビューが掲載された。いつもの話ではあるけれど、これを愚直に繰り返す以外に悪政を食い止める方途を思いつかない。

反骨は立ち上がる

いま日本で起きている絶望的なまでの「公人の劣化」は何に由来するのか。結論から言ってしまえば「日本はアメリカの属国でありながら、日本人がその事実を否認している」という事実に由来する。日本社会に蔓延している「異常な事態」の多くはそれによって説明可能である。

ニーチェによれば、弱者であるがゆえに欲望の実現を阻まれた者が、その不能と断念を、あたかもおのれの意思に基づく主体的な決断であるかのようにふるまうとき、人は「奴隷」になる。「主人の眼でものを見るようになった奴隷」が真の奴隷である。彼には自由人になるチャンスが訪れないからである。日本はアメリカの属国であり、国家主権を損なわれているが、その事実を他国による強制ではなく、「おのれの意思に基づく主体的な決断」であるかのように思いなすことでみずからを「真の属国」という地位に釘付けにしている。
日本が属国なのだと明確に認識したのは、鳩山由紀夫元首相が2009年に米軍普天間飛行場の移設を巡り「最低でも県外」と発言した際の政治と社会の反応を見たときだ。
鳩山氏は軍略上の重要性を失った日本国内の米軍基地を移転し、日本固有の国土の回復を求めただけである。首相として当然の主張をしたに過ぎない。だが、これに対して外務省も防衛省もメディアも猛然たる攻撃を加えた。その理由は「アメリカの『信頼』を損なうような人間に日本は委ねられない」というものだった。ニーチェの「奴隷」定義を援用するならば、宗主国の利益を優先的に配慮することが自国の国益を最大化する道だと信じる人々のことを「属国民」と呼ぶのである。

北朝鮮を巡る情勢が緊迫している。米国が北朝鮮に対し先制攻撃した場合、日本国内にミサイルが飛来して国民が死傷するリスクはある。だが、これを「アメリカがする戦争になぜ日本が巻き込まれなければならないのか」と憤る声はほとんど聞かれない。主権国家であれば、国土と国民を守ることをまず第一に考えるはずだが、日本政府は北東アジアの危機を高めているアメリカに一方的な支持を与えて、米国に軍事的挑発の自制を求めるという主権国家なら当然なすべきことをしていない。

「対米従属を通じて対米自立を達成する」という国家戦略は敗戦後の日本にとってそれ以外に選択肢のないものだった。ことの適否を争う余裕はないほど日本はひどい負け方をしたのである。そして、この国家戦略はその時点では合理的なものだった。徹底的な対米従属の成果として、日本は1951年のサンフランシスコ講和条約で国際法上の戦争状態を終わらせ、国家主権を回復した。68年には小笠原諸島、そして72年には沖縄の施政権が返還された。戦後27年間は「対米従属」は「対米自立」の果実を定期的にもたらしたのである。
だが、この成功体験に居ついたせいで、日本の政官は以後対米従属を自己目的化し、それがどのような成果をもたらすかを吟味する習慣を失ってしまった。沖縄返還以後45年で対米自立の成果はゼロである。米軍基地はそのまま国土を占拠し続け、基地を「治外法権」とする地位協定も改定されず、首都上空には米軍が管轄する横田空域が広がったままである。主権回復・国土回復という基本的な要求を日本は忘れたようである。
それどころか、対米自立が果たされないのは「対米従属が足りない」からだという倒錯的な思考にはまり込んで、「年次要望改革書」や日米合同委員会を通じて、アメリカから通告されるすべての要求を丸のみすることが国策「そのもの」になった。郵政民営化、労働者派遣法の改定、原発再稼働、TPP、防衛機密法の制定、PKOでの武器使用制限の見直しなど、国論を二分した政策は全部アメリカの要求が実現された。そして、わが国の国益よりもアメリカの指示の実現を優先する政権にアメリカは「同盟者」として高い評価を与え、それが属国政権の安定をもたらしている。

日本人は心のどこかで「属国であること」を深く恥じ、「主権の回復」を願っている。けれども、それは口に出されることがない。だから、その抑圧された屈辱感は病的な症候として現れる。安倍政権とその支持者たちの「かつて主権国家であった大日本帝国」に対する激しいノスタルジーは「主権のない戦後日本国」に対する屈辱感の裏返しである。けれども主権回復のための戦いを始めるためには、まず「日本は主権国家でなく、属国だ」という事実を受け入れるところから始めなければならないが、それはできない。痛苦な現実から目をそらしながら少しでも屈辱感を解除したいと思えば、「大日本帝国」の主権的なふるまいのうち「今でもアメリカが許諾してくれそうなもの」だけを選り出して、政策的に実現することくらいしかできることがない。それが対外的には韓国や中国に対する敵意や軽侮の表明であり、国内における人権の抑圧、言論の自由や集会結社の自由の制約である。だが、日本が隣国との敵対関係を加熱させることには宗主国アメリカから「いい加減にしろ」という制止が入った。米日中韓の連携強化は、トランプ政権のアメリカにとっても東アジア戦略上の急務だからである。やむなく、日本の指導層の抱え込んでいる「主権国家でないことの抑圧された屈辱感」は日本国民に「主権者でないことの屈辱感」を与えるというかたちで病的に解消されることになった
それが特定秘密保護法、集団的自衛権行使の閣議決定、安保法制、共謀罪と続く、一連の「人権剥奪」政策を駆動している心理である。

安倍政権の改憲への熱情もそれによって理解できる。憲法に底流する国民主権のアイディアはアメリカの統治理念そのものである。それを否定することで、対米屈辱は部分的に解消できる。そして政権担当者は「国民に対してだけは主権的にふるまう」ことで国家主権を持たない国の統治者であるストレスを部分的に解消できる。
自民党改憲草案は近代市民社会原理を全否定し、剥き出しの独裁政権を志向する病的な政治文書だが、それが全篇を通じて「決してアメリカを怒らせないような仕方で対米屈辱感を解消する」というねじれた政治目標に奉仕しているのだと思えば、理解できないことはない。

日本人に対して、私から言いたいことは「現実を直視しよう」ということに尽きる。国防についても、外交についても、エネルギーについても、食糧についても、基幹的な政策について日本は自己決定権を持ってないこと、国土を外国の軍隊に占拠されており、この状態がおそらく永久に続くこと、明治維新以来の悲願であったはずの「不平等条約の解消」という主権国家の基礎的目標を政治家たちが忘れたふりをしていること、海外の政治学者たちは特段の悪意もなく、日常的に「日本はアメリカの属国である」という前提で国際関係を論じていること、そういう事実を直視するところからしか話は始まらない。
この否定的現実をまず受け入れる。その上で、どうやって国家主権を回復するのか、衆知を集めてその手立てを考えてゆく。鳩山一郎や石橋湛山や吉田茂が国家的急務としていた問題をもう一度取り上げるということである。

日本が属国であることも、その事実を否定するために異常な人権抑圧が行われていることは沖縄や福島へ行けばわかる。現場に行けば政治家や官僚やメディアがどのように隠蔽しようとも痛ましい現実が露呈する。まずそこに立つこと。幻想から目を覚ますこと。それが日本国民のしなければならないことである。

日本ははっきり末期的局面にある。これから急激な人口減を迎え、生産年齢人口が激減し、経済活動は活気を失い、国際社会におけるプレゼンスも衰える。日本はこれから長期にわたる「後退戦」を戦わなければならない。
後退戦の要諦は、ひとりも脱落させず、仲間を守り、手持ちの有限の資源をできるだけ温存して、次世代に手渡すことにある。後退戦局面で、「起死回生の突撃」のような無謀な作戦を言い立てる人たちについてゆくことは自殺行為である。残念ながら、今の日本の政治指導層はこの「起死回生・一発大逆転」の夢を見ている。五輪だの万博だのカジノだのリニアだのというのは「家財一式を質に入れて賭場に向かう」ようなものである。後退戦において絶対に採用してはならないプランである。けれども、今の日本にはこの「起死回生の大ばくち」以外にはプランBもCもない。国として生き残るための代替案の案出のために知恵を絞ろうというひとが政官財の要路のどこにもいない。
だがそうした危機的現状にあって、冷静なまなざしで現実を眺め、自分たちが生き残るために、自分たちが受け継ぐはずの国民資源を今ここで食い散らすことに対して「ノー」を告げる人たちが若い世代からきっと出てくると私は思っている。
日本の人口はまだ1億2千万人ある。人口減は止められないが、それでもフランスやドイツよりははるかに多い人口をしばらくは維持できる。指導層の劣化は目を覆わんばかりだけれど、医療や教育や司法や行政の現場では、いまも多くの専門家が、専門家としての矜持を保って、私たちの集団を支えるために日々命を削るような働きをしている。彼らを支えなければならない。

後退戦の戦い方を私たちは知らない。経験がないからだ。けれども、困難な状況を生き延び、手持ちの資源を少しでも損なうことなく次世代の日本人に伝えるという仕事について私たちは好き嫌いを言える立場にはない。それは国民国家のメンバーの逃れることのできぬ義務だからである。


魂の秘境から 朝日新聞 [スズムシ日記]

 水俣の苦しみを生涯にわたって追い続けている石牟礼道子さんの連載エッセイだ。苦海浄土に通ずる魂の秘境は熊本城の古の言い伝え。あの大地震で僅かの石組が城を支え続けている軽業状態はまさに奇跡だ。先人の堅牢な仕業に敬服するばかりだ。機械もない時代にだ。

 道子さんのエッセイを取り出そう。


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石の神 熊本城に宿る、不死の年月

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幼いころ、この世で一番えらいのは「セイショコさま」という神様だと思っていた。わたしを膝(ひざ)にのせて焼酎をだいぶ聞こし召した父が、この神様の名を口にするときにはやおら威儀を正すのである。

 熊本は水俣で、道普請(道路工事)を請け負う石屋であった。日が暮れて夕餉(ゆうげ)が済めば、若い職人たちも一緒に、だれやみ(晩酌)の会となる。なめらかになった口で、道路の基礎に埋める根石はどの山から切り出すのが上等か、などといつもの石談議が始まる。

 あの山奥の石は間違いないが、算盤(そろばん)が合わぬ。そんなことを言う人があれば、父は憤然とちょこ(猪口)を置き、痩せた背筋をぴんと伸ばす。

 「銭(ぜん)のなんのち言うては、セイショコさまに申しわけの立たぬことぞ」

 まるきり神仏を畏(おそ)れ敬う口ぶりであった。この石の神様が、加藤清正公(セイショコ)という人間の名を持つとやがて知ったとき、なんとも不思議な思いをした。

 算盤づくとはほど遠かった家業は、わたしが小学校に上がってまもなく破産。「さしょうさい(差し押さえ)」という、子どもの耳には化け物めいて聞こえるものがやって来て、家財まるごと呑(の)み込んでいってしまうのである。

 父に連れられて、セイショコさまが築いたという熊本城を訪れたのは、そんな騒動の前のことだったろうか。我が神様のつくりなはった日本一の石垣を、娘に自慢するような気持ちだったに違いない。

 もう夢のようにも思える記憶のなかで、父は苔(こけ)の模様をうかせた石垣に手を添えて、「石の歳(とし)ば幾(いく)つち思うか」と聞くのである。きょとんとするわたしに「石どもは年月の塊ぞ。年月というものは死なずに、ほれ、道子のそばで息をしとる」。わたしはなんだか途方もない、寄る辺ないような気持ちになり、石の粉でざらざらにすり切れた父の手にすがりついた。

     *

 1年前の熊本地震。セイショコさまの熊本城は瓦や石垣が崩れ落ち、土煙に包まれたように見えたという。その揺れが来たとき、わたしは熊本市の療養先のベッドにいた。これはもう死ぬなあと思った。枕で顔を覆った。助かりたいというのではない。せめて顔に傷がない状態で発見されたいと願ったのだった。

 幸い、施設のヘルパーさんたちに助け出され、運ばれた先の病院の方々にもお世話になったおかげで、いまこうして生きている。

 「セイショコさんが築いた石垣は、あとの時代に積んだ部分より、被害が少なかったそうですよ」。わたしの石への執着を知る人が、そんなことを教えてくれた。父に伝えたら、何と言うだろう。何を分かりきったことを、と渋面をつくりそうな気もする。

     *

 そういえば、薩摩に近い山里に父が道を通し、その渡り初めのお供をしたことがあった。道の石積みに沿うようにして野の花が咲き、石蕗(つわぶき)の黄色い花頸(くび)に暮れかけた陽(ひ)の色が残っていた。

 「花の道のできやした。さあ、道に足ば下ろしてくだはりませ」

 父がそう声をかけても、山里の人たちは尻込みして動かない。神さまの通りよらす前に渡っては恐れ多いと、手を合わせる。その姿は道の石積みを拝むようにも、野辺の花を拝むようにも見えた。父は感じ入った様子で、「石の中でも花の咲くとぞ」とつぶやくのだった。    

福岡伸一の動的平衡 [スズムシ日記]


朝日新聞週一の連載エッセイ27日付エッセイは老人が主題。おいらもれっきとした老人。福岡さんの言いようだとジジイだ。何か文句あるか!でも、福岡さんが取り出したのはジジイになった石原都知事の失言。でも昨今の石原はジジイになって哀れな行状をさらしているじゃないですか。じゃ行ってみましょう。


ジジイとババアの存在が


「文明がもたらしたもっともあしき有害なものはババアなんだそうだ。女性が生殖能力を失っても生きてるってのは、無駄で罪ですって」とかつて発言したのは、石原慎太郎元都知事。当然のことながら大きな反発を引き起こし、女性グループによる訴訟に発展した。裁判所は発言を不用意としたものの、名誉毀損とまでは認めなかった。


 オランウータンやアカゲザルには更年期があり、シャチやクジラの一部には閉経後も生きる種がある。とはいえ、生殖期間が終わった後、30年にわたる長き「老後」(オスを含めて)が存在する生物は確かにヒトだけ。しかしこれは決して無駄でも罪でもない。進化史上、有利だったからこそその特性が保存されたと考えなくてはならないからだ。


 その有利さとは何だったのか。おそらくは、次の世代が子育てをするのを手伝い、経験や知恵・知識を、————遺伝子とは別のかたちで————、手渡すことが、ヒトが生き延びる上で欠くことのできない価値をもっていたのだ。


 つまり、石原(敬称がついていたがおいらはとるぞ)の発言はむしろ逆で、ババア及びジジイの存在がもたらしたものこそが文明だったのである。そして問題の所在は、3・11以降、その過度の発展が、ブーメランのごとく、自らの存在を脅かすまでにリベンジを開始してきたところにある。真の知恵が試される時がきた。



与良政談 毎日新聞夕刊連載 4月号2本 [スズムシ日記]


与良さん、なかなかいいじゃない。国民をなめきっている安部の言動に与良さん自身があがききれないジレンマを表明しているのがいい。おいらもそうだ。バカヤロウ!ってみんなで言おうよ!2本まとめて登場してもらう。

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 こんな人々が大臣なのだ。


安倍内閣の閣僚や政務官のあぜんとする暴言や不祥事が続く。


 今村雅弘前復興相は記者の質問に激高して東京電力福島第1原発の自主避難を「本人の責任」と発言。反省したかと思いきや、今度は東日本大震災に関し「(発生場所が)まだ東北でよかった」と言い放った。辞任は遅過ぎたほどだ。


 山本幸三地方創生担当相は誤った知識をもとに「一番のがんは文化学芸員」と語って釈明に追われた。金田勝年法相は組織犯罪処罰法改正案の説明がままならず、「答弁のお助け役」として法務省刑事局長を参考人として呼ぶよう与党が強引に決める異例の事態となった。


 いずれも大問題だ。しかし安倍晋三首相はその都度、即座に更迭するなど、これまできちんとけじめをつけなかった。だから今村氏のように口ばかりの反省になるのである。


 こうした問題が表面化すると「政権の緩みやおごりが出た」と報道されがちだ。だが「緩んでいるから起きた」というより、元々こんな人たちが大臣をしている現実を、私たちは認識して怒るべきだ。それでも「いつか国民は忘れるだろう」と政権が高をくくっていることが「安倍1強」のおごりなのだ。


 「北朝鮮情勢が緊迫する中、閣僚発言の揚げ足を取っている場合か」といった声も聞く。しかし、こんなにも言葉が、いや存在自体が軽い人たちに危機管理を任せておいて大丈夫かとむしろ私は心配になる。


 安倍首相自身の言葉にも触れておく。首相は先週、東京銀座の商業施設オープン式典で、あいさつ原稿に地元・山口県の物産について触れられていないことを取り上げて「よく私が申し上げたことをそんたくしていただきたいと、こう思うわけであります」と冗談を飛ばした。


 「そんたく」は森友学園問題の重要なキーワードだ。それをジョークのネタに使う感覚に驚く。森友問題は報道も少なくなったから、もう乗り切ったと余裕を見せようとしたのだろうか。だとすれば、野党も私たちメディアも、そして国民も随分なめられたものだ。


 こんな劣化状況に新聞テレビも慣れっこになってしまうのが怖い。なめられないためには、しつこく追及することだ。


「共謀罪」に関心もとう


 弱みは絶対に見せないということなのだろう。安倍晋三首相の国会答弁は最近、ますます断定調が目立つようになった。


「共謀罪」の構成要件を改め「テロ等準備罪」を新設する組織犯罪処罰法改正案の審議入りに際し、首相は先週の国会でこう語った。


 「捜査機関が常時国民の動静を監視するようになるといった懸念は全く無用だ」


 本当にそうか。捜査機関が改正案を拡大解釈して乱用する心配はないのか。国民の心の内までが監視される恐れはないのか−−。これまでの政府の説明では多くの人々がそんな不安を抱くのは当然だ。


 何しろ長年の憲法解釈をあっさり変更し、集団的自衛権の一部行使を認めた政権だ。戦前の教育勅語もどうしても否定したくないようだ。


 政権が個人の権利より国家の権力強化を重視しているのは疑う余地がない。今回の改正案を戦前の治安維持法に例える人が多いのは、そうした政権の性格を抜きには語れない。


 ところが、そんな例えを持ち出すと首相は「それは印象操作だ」と言う。ならばこの法案が成立しないと3年後の東京五輪・パラリンピックが開けないと言わんばかりの説明も印象操作と言うべきだろう。


 異論を一刀両断に切り捨て、ともかく権力者の言うことを信じろでは国会審議は要らなくなる。


 「森友学園」問題を見てみよう。「私や妻が関わっていたら首相も国会議員も辞める」と首相がいきなり断言してしまったため、妻の昭恵氏の関与について無理な政府答弁を重ねる結果になっているではないか。


 テロ対策は必要だと誰でも思う。ただし、この法案はどれほど具体的にテロ防止につながるのか。現行法では対応できないのか。疑問点は多々ある。だから最初から結論を決めつけずに、一つ一つ謙虚に、きちんと詰めていくことが必要だ。


 私たち新聞やテレビの努力不足もあるだろう。まだ国民の関心は高いとはいえない。特定秘密保護法や安保法制の時にも書いた話だが、消費税率アップなどと違って、こうした法案は成立しても直ちに生活が変わることはないかもしれない。


 しかし、日々の暮らしが目に見えて変わってきた時には、もう後戻りできないのだ。



どこからか言葉が 谷川俊太郎 19年4月号 [スズムシ日記]

谷川さんの朝日連載。久しぶりに登用します。ちょっとピンぼけぎみだったので、わ〜い!なんて言えなかった。今回はまあ、いいか。厭戦思想があるからね。でも、原っぱなんてもう都会にはない。鉄条網でしっかりガードされてる。そもそも豊洲のあの土地だって原っぱ。それがヒ素がでるっておおさわぎ。

俊太郎さんの今回の詩は 最後がいい。「うつむいてひとりでたっているこもいる」そうですね。あたりまえですが、それを抽出してみせてくれたのがいいですね。新しい指導要領がでましたが、子どもたちはみんな主体的になりなさい!って言ってます。それを目指します!って先生もがなり立てています。でも、びくびくしている先生もいるのじゃないかって思います。俊ちゃんに登場してもらいます。

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はらっぱ


はらっぱでこどもらがはねまわっている

このくにでもあのくにでもはねまわってる

むかしからこどもらははねまわっていた

これからもはねまわるだろう うんがよければ

 

おとなはわらいながらそれをみまもる

それをえにかく うたにする おはなしにする

それからそれをおもいでにして

せんそうをしによそのくにへでかけていく

 

はらっぱでこどもらが ねている

どうしたのだろう

こどもらはいつまでたってもおきあがらない

おとなはもうはらっぱにもどれない

 

いつのまにかはらっぱはほりかえされて

おおきなふかいあなぼこになった

そのうえにたかいたてものができた

うんよくおとなになったこどもらがたてたのだ

 

しんでしまったこどもらのことを

いきているこどもはがっこうでまなぶ

こうていでこどもたちがはねまわっている

うつむいてひとりでたっているこもいる


問う「共謀罪」表現者から [スズムシ日記]

 朝日新聞が各界の識者をチョイスして「共謀罪」について語ってもらっている。シリーズものだが、半藤さんの言い分に共感したので、登場してもらおう。勿論僕も共謀罪には反対だ。オリンピックに特化した言い方が気にくわない。それこそ国会の安部の答弁は内心を逆にトロしているようで不気味だ。この人はどこまで突っ走るのだろうか。選挙結果がいかに重大かを知らしめている。
 それでは、半藤さんの言い分を聞いてみよう。
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「戦前と違う」とは思わない

 戦争は昔の話。本当にそう言い切れるのだろうか

 私が11歳のとき太平洋戦争が始まった。東京大空襲では、逃げている途中に川に落ちて危うく死にそうになる経験もした。

 向島区(現・墨田区)の区議だったおやじは「日本は戦争に負ける」なんて言うもんだから、治安維持法違反で3回警察に引っ張られた。

 当時は戦争遂行のための「隣組」があった。「助けられたり、助けたり」という歌詞の明るい歌もあるが、住民同士を相互監視させる機能も果たした。いつの世も、民衆の中には政府に協力的な人がいる。「刺す」という言い方もあったけれど、おやじを密告した人がいたんだろう。

 歴史を研究してきた経験から言えるのは、戦争をする国家は必ず反戦を訴える人物を押さえつけようとするということだ。昔は治安維持法が使われたが、いまは「共謀罪」がそれに取って代わろうとしている。内心の自由を侵害するという点ではよく似ている。

 治安維持法は1925年の施行時、国体の変革を図る共産主義者らを取り締まるという明確な狙いがあった。その後の2度の改正で適用対象が拡大され、広く検挙できるようになった。

 政府は今回の法案の対象について「『組織的犯罪集団』に限る」「一般の人は関係ない」と説明しているが、将来の法改正によってどうなるか分からない。

 私に言わせると、安倍政権憲法を空洞化し「戦争できる国」をめざしている。今回の法案は(2013年成立の)特定秘密保護法や、(15年成立の)安全保障法制などと同じ流れにあると捉えるべきだ。歴史には後戻りができなくなる「ノー・リターンポイント」があるが、今の日本はかなり危険なところまで来てしまっていると思う。

 「今と昔とでは時代が違う」と言う人もいるが、私はそうは思わない。戦前の日本はずっと暗い時代だったと思い込んでいる若い人もいるが、太平洋戦争が始まる数年前までは明るかった。日中戦争での勝利を提灯(ちょうちん)行列で祝い、社会全体が高揚感に包まれていた。それが窮屈になるのは、あっという間だった。その時代を生きている人は案外、世の中がどの方向に向かっているのかを見極めるのが難しいものだ。

 今回の法案についてメディアはもっと敏感になるべきだ。例えば、辺野古沖縄県名護市)での反基地運動。警察が「組織的な威力業務妨害罪にあたる」と判断した集会を取材した記者が、仲間とみなされて調べを受ける可能性はないか。「報道の自由」を頭から押さえつけるのは困難でも、様々なやり方で記者を萎縮させることはできる。

 法案が複雑な上、メディアによって「共謀罪」「テロ等準備罪」など様々な呼び方があり、一般の人は理解が難しいだろう。でも、その本質をしっかり見極めてほしい。安倍首相は法律ができなければ、「東京五輪を開けないと言っても過言ではない」と答弁した。それが仮に事実だったとしても、わずか2週間程度のイベントのために、100年先まで禍根を残すことがあってはならない。

 はんどう・かずとし 「日本のいちばん長い日」「ノモンハンの夏」など昭和史関連の著作多数。「文芸春秋」の元編集長。


(政治断簡)2017.4.17朝日新聞 [スズムシ日記]

汝、内心に立ち入るべからず 

朝日新聞:編集委員・国分高史

 久しぶりの政治風潮にチョイスです。朝日新聞の政治断簡を連載している編集員の国分高史さんの論調はナカナカ硬派でいい。今回も自民党政権の本質をぐいと抉って見せている。もっと声高になるといいんだけれども、これが限界だってことも百も承知でスズムシは息巻いている。「内心」の問題が取りざたされて、いよいよ危うい世界になっている。小林多喜二の母の物語の映画を見た。映画監督は80を越えた方。そのお孫さんが映画にも出演。神楽さんという。お母さんとともども親子陶芸教室に参加している。そんな縁があって映画をみることになった。きな臭いなんて感じている老人が減少しつつあること、それがそもそもつけ入る要因なのかもしれない。手ぐすね引いて待ってましたとね。日本会議もじっとガマンの子だったからね。それでは今回の断簡を繙いてみましょう。

 一連の「森友学園」の問題ではっきりしたのは、安倍政権教育勅語を決して全否定はしないということだ。

 国有地売却にからむ疑惑発覚当初、夫人から伝え聞いたという安倍晋三首相は、幼稚園の朝礼で教育勅語を暗唱させる籠池泰典前理事長を「教育に対する熱意は素晴らしい」と評価していた。

 そして、教育勅語教材に使うことを否定しない政府答弁書と、朝礼での暗唱を「教育基本法に反しない限りは問題のない行為」という義家弘介・文部科学副大臣の国会答弁が、勅語に対する政権の姿勢を鮮明にした。

     *

 明治憲法下の教育勅語の本質は、「父母に孝に」「兄弟に友に」「夫婦相和し」といった徳目を「汝(なんじ)臣民」に守らせたうえで、いざとなれば「一身を捧げて皇室国家のために尽くせ」と滅私奉公を求めている点だ。

 国民主権に反することは明らかなのに、政権中枢の政治家たちは、この徳目を切り取って「日本が道義国家をめざすというその精神は、取り戻すべきだ」(稲田朋美防衛相)という。

 だが、その部分だけを取り上げて評価するのは、意味がないばかりか、問題の本質を覆い隠す。

 教育勅語の時代は、家制度のもと家族の中にも戸主を筆頭に厳然たる序列があった。現代の私たちが当然だと思っている男女間の平等も、個人の尊重もなかった。この背景を抜きに、内心に働きかける徳目の当否は語れない。

 西原博史・早稲田大教授(憲法)は「教育勅語がいうのは、天皇を頂点とする国家とそれを構成する家族内の秩序維持のため、つまり天皇のために親孝行せよということだ。そこを切り離して『いいところもある』と評価するのは、まずは無知であると言うしかない」と話す。

 天皇を元首とする。国民はそれぞれ異なる個性を持つ「個人」としてではなく、単に「人」として尊重される。そして家族は互いに助け合え――自民党が2012年にまとめた憲法改正草案が描く国の姿は、教育勅語がめざした国家像と重なり合う。

 政権中枢が勅語を否定しないどころか、心情的には擁護する理由がよくわかる。

     *

 その政権がいま、テロ対策を理由に「共謀罪」の趣旨を盛り込んだ新たな法の制定に向けひた走っている。

 共謀罪は、犯罪を実行に移した段階から処罰する日本の刑事法の原則を覆す。野党が危惧するように、犯罪を話し合い、合意をしたことが罪に問われるとなれば、戦前の思想弾圧の反省から現憲法で絶対的に保障されている内心の自由が侵されかねない。

 「教育勅語にはいいことも書いてある」「テロ対策がなければオリンピックが開けない」。うっかりしていると「そうだね」と答えてしまいそうな言葉とともに、権力は私たちの内心にずかずかと踏み込んでこようとする。

 ここははっきりと、「汝、立ち入るべからず」の意思表示をしておかなければ。


私だけの東京 毎日新聞夕刊連載 [スズムシ日記]

久しぶりの投稿です。共謀罪だとか介護保険法改悪とか、ちっともいいことがない。民進党も細野の反乱でちっともまとまりがない。それをみんな知っているから、見限っている。れんぽうさん頑張れって言いたいが、何か痛々しい。と僕は思う。
今回の投稿は「私だけの東京」。毎日新聞に連載されている。みんなの出自がそれぞれ懐かしい。今回取り上げた辺さんは在日韓国人。僕と同年齢だから、余計に共感する。僕の住む南台は元は雑色村。戦後にいわゆる朝鮮部落があちこちに点在していた。僕の同級生の金田くんは東大に入った。どうしているのだろうか。辺さんのこども時代を伺って、僕のこども時代を思い出した。

忘れられない納豆売り コリア・レポート」編集長・辺真一さん 

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 フリーのジャーナリストとして日々、慌ただしく過ごすうち、気がつけば、僕も70歳になりました。ふと思い出すのは少年時代のことですね。物心ついた時に住んでいたのは東京都荒川区の三河島です。とにかく貧しかった。みんな貧しかった。在日朝鮮人が2030世帯ほど、あちこちで、それこそ肩を寄せ合うように暮らしていました。

 おやじは韓国の南、済州(チェジュ)島は西帰浦(ソギポ)の生まれです。出稼ぎのため大阪に渡り、そこで同じく済州島からやってきた母と結婚する。土木作業など日雇い仕事をしていましたが、終戦を機に上京、進駐軍の余剰品を闇市に流したりしていたらしい。上野かいわいではおやじら辺一族は「辺3兄弟」と呼ばれ、闇市を仕切る顔だったみたいです。

 でも、生活は苦しかった。我が家は木造家屋の2階、6畳間に両親と僕ら子供4人の6人で住んでいました。信じられますか? 6畳に6人ですよ。便所はもちろん共同、お風呂は2軒先に銭湯があって、脱衣場のテレビで力道山のプロレスなんかを見るのが楽しみでした。そうそう、一度、火事になったことがあって、みんな裸で逃げ出してきたのを覚えています。

 近所は金さん、李さん、朴さんだらけでしたが、日本人ともよく一緒に遊んでいました。チャンバラごっことかね。ケンカすると「ニンニクくさい」と言われたりもしましたが、こちらも負けじと「タクアンくさい」と言い返したりね。陰湿な感じはなかったし、取り立てて差別を意識したこともありませんでした。吉永小百合さん主演の映画「キューポラのある街」、僕らにはすごく分かる世界です。

 通っていたのは東京都立第一朝鮮人小学校です。校長先生は日本人、先生は日本人と朝鮮人が半々。児童には密航者も多かった。うさぎ追いしっていう日本の童謡「故郷」を朝鮮語に訳して歌ったりしましたね。♪サントッキモルロヌンウリトンサン……。まだ歌えます。母が僕を1年、早く入れてしまったものだから、6年間ずっと小さいまま。通信簿を見ると、入学時の身長が101センチ! 勉強はだめでしたが、足は速かった。すもうも上手投げが得意でね。毎年開く同窓会で、クラスメートはいまでも運動会のことを話題にするんですよ。「チニリ(真一)かっこよかった」って。

 苦労している両親を楽にさせたくて、小学校に入ると真ちゅうやくず鉄なんかを拾って売っていましたが、忘れられないのが小3からやった納豆売りです。登校前、朝も暗いうちに起き、近所のおばあさんから手作りの納豆を30個もらうんです。110円で、一つ売れたら3円くれる。僕は納豆の入った箱を駅弁売りみたいにぶら下げて「なっとー、なっとなっとー」と声を張り上げながら歩く。そしてとんとん戸をたたいて「納豆、買ってくださーい」。ま、けなげに思ってくれたんでしょう、みんな買ってくれるんですよ。

 三河島では済州島の味で育ちました。好きだったのはネングク(冷やし汁)。冷たい汁にキュウリが浮いている。たまにお金に余裕があると、イカが入ったりする。でも、もっと好きなのはチョベギ。日本で言えば、すいとんでしょうか。うどん粉のだんごのようなものをスープに放り込んで、ごま油で味をつけて、卵を割り入れる。辛くはないんです。お米もまともに買えない時、これでおなかをいっぱいにするんです。粗末な食べ物でしょうが、おいしい。もしジャーナリストになっていなかったら、チョベギ屋でもしようかと考えたくらいですよ。

 1994年、金泳三(キムヨンサム)政権の時代になって初めておやじの出身地、済州島を訪れました。辺家の墓で思ったものです。どうして僕は日本に生まれたのか、どうして韓国に生まれなかったのか、と。でも、これは運命なんだとすぐ思い直したんです。流れ流れて、たどりついたのが三河島、僕の古里は三河島なのだ、と。僕の古希の祝いは家族と焼き肉屋に行くぐらい、生活習慣は日本人のそれともう変わりません。そんな在日2世のジャーナリストとして、日本人よりも韓国人を、韓国人よりも日本人をよく知る立場から、日本と朝鮮半島について発言を続けていくつもりです。【聞き手・鈴木琢磨、撮影・内藤絵美】

 ■人物略歴 ピョン・ジンイル

 1947年生まれ。明治学院大卒。朝鮮新報記者を経て、82年に独立。「コリア・レポート」創刊。最新刊は「在日の涙-間違いだらけの日韓関係」(飛鳥新社)。


内田樹の研究室から  [スズムシ日記]

難しすぎる?

 

 「難しすぎる」とは何か?というブログは115日にアップされたものです。『転換期を生きる君たちへ』(各界の識者による論集形式のもの。内田さんが編者)が出版されたのだが、都内の公立中学校の先生から晶文社の編集者に手紙がとどいたのだそうです。それによると、よい本なので購入して、学校図書館に陳列したのだが、だれも読むものが現れない。そこで仕方なく、生徒会長、生徒会役員、学級委員の三名の男子生徒(全員二年生)に順番に読んでもらったところ、彼らは難しすぎるとのことだったと……。

 それで、内田さんはほとほと悩みもして、表記のブログをしたためることになったのだそうだ。

 このブログも長文で、途中で頓挫しそうな方も頻出するのじゃないかと思うのだが、「難しい」と同様に「長すぎる」も嫌われることは百も承知で内田さんは自説を述べておられる。全文をお読みになりたければブログを訪れてほしい。

 さて、その文章のなかで、これはとっても「すごくて」「いい」と思う、学校論が述べられている。おいらもそんな学校をめざしてもいたが、徒労におわったように思い、忸怩たるものがあるのだが、以下の内田さんの論を是非とも読んでほしいと思う。

 『この世に「最低の学校」というのがあるとすれば、それは教員全員が同じ教育理念を信じ、同じ教育方法で、同じ教育目標のために授業をしている学校だと思います(独裁者が支配している国の学校はたぶんそういうものになるでしょう)。でも、そういう学校からは「よきもの」は何も生まれません。これは断言できます。とりあえず、僕は、そんな学校に入れられたら、すぐに病気になってしまうでしょう(病気になる前に、窓を破っても、床に穴を掘っても、脱走するとは思いますが)。僕はそういう「閉所的」な空間に耐えることができません。どんな場所であれ、そこで公式に信じられていることに対して「それ、違うような気がするんですけど」という意思表示ができる権利が確保されていること、それが僕にとっては、呼吸して、生きていけるぎりぎり唯一の条件です。

 勘違いしないで欲しいのですが、「僕の言うことが正しい」と認めて欲しいわけではないのです。僕が間違っている可能性だってある(だってあるどころかたいていの場合、僕は間違っています)。それでも、みんなが信じている公式見解に対して、「あの、それ、違うような気がするんですけど」と言う権利だけは保証して欲しい。「僕が正しい」とみんなに認めて欲しいのと違うのです。ただ、正しい意見に対して、「それは違うと思う」と言っても処罰されない保証を求めている、それだけです。

 教師も生徒も、全員が同じ正しさを信じていて(信じることを強いられていて)、異論の余地が許されていない学校は、知的な生産性という点から言うと、最低の場所になるでしょう。そういう学校から、多様な個性や可能性を備えた若者たちが次々と輩出してくるということは決してないと僕は思います。というのは、知的な生産性というのは「正しい/間違っている」という二項対立とは別のレベルの出来事だからです。

 ほんとうに新しいもの、ブレークスルーをもたらすものは、いつだって「思いがけないもの」です。そんなものが存在するとは誰も思っていなかったものです。それが、そんなところから何かが生まれなんて誰も思ってもいなかった場所から生まれ出てくる。そういうものなんです。いつだって、そうなんです。ほんとうに新しいものは、思いもかけないところから生まれてくる。

 ですから、知的生産性という点からすると(もう三回目ですけれど、実は僕はこの言葉があまり好きじゃないんです・・・)、学校が多産であるためには、「そんなところから何か価値あるものが生まれて来るとは誰も予測していなかった場所」がたくさんあることが必要だということです。薄暗がりとか、用途のわからない隙間とか、A地点からB地点にゆく場合の最短ルートとは別の迂回ルートとか、坐り込んだら気分よくて立てなくなってしまうソファーとか、意味もなく美しい中庭とか・・・そういう「何の役に立つのかよくわからないもの」たちが群生しているのが知的空間としては極上だと僕は思います。これは僕が長く生きてきて得た経験的確信です。』

  どうでしたか?深い学びを標榜する新しい指導要領が30年からスタートする。どうも内田さんのいう学校はもう出現することすら難しいのではと思うスズムシでした。(卒業式前の超多忙な先生方は25日過ぎにゆっくりかみしめてくださいね、



異常な長期拘留  [スズムシ日記]

5ヶ月も留置場に拘留。証拠隠滅のおそれがあるとの理由で。でも、これは安倍政権の見せしめ的踏み絵の状態。辺野古移設反対運動のリーダーを拘束したのだ。沖縄の人々は一層憤るだろう。傍観のスズムシで申し訳ない。記事をせめて掲載しよう!

辺野古移転 反対派リーダー、一部否認 5カ月勾留後、初公判 公務執行妨害など 
毎日新聞2017317日 東京夕刊

 沖縄の反基地運動のリーダーで、米軍普天間飛行場(沖縄県宜野湾市)の名護市辺野古への移設などに抗議する活動を巡って威力業務妨害罪などに問われた沖縄平和運動センター議長、山城博治被告(64)ら3人は17日、那覇地裁(潮海二郎裁判長)であった初公判で、米軍基地内の有刺鉄線を切断したとされる器物損壊罪は認めたが、その他2件の起訴内容については否認して無罪を主張した。

 山城被告は、米軍基地のゲート前にコンクリートブロックを積み上げたとされる威力業務妨害罪について「抗議行動の一つで正当な表現行為だ」として否認。防衛省沖縄防衛局職員にけがをさせたとされる公務執行妨害と傷害の罪についても「職員の行為は正当な公務性を欠き、止めようとしただけだ。傷害を与える行為をした事実もない」と主張した。

 そのうえで「私は5カ月にわたって長期勾留を強いられてきた。異常な隔離であり、不当な弾圧だ。沖縄の反戦運動は今後ともさらに力強く展開していくし、闘いは不滅だ」と述べた。

 山城被告と共謀したとして威力業務妨害罪に問われた66歳の男と、公務執行妨害と傷害の罪に問われた44歳の男も起訴内容を否認した。

国際団体が批判

 山城被告が最初に逮捕されたのは昨年1017日。勾留は約5カ月間に及び、国際人権団体などから批判が相次いできた。刑事法学者のグループが「不当に長い拘禁」と批判する「緊急声明」を発表した他、作家の落合恵子さんや鎌田慧さんらも早期釈放を求めている。さらに国際人権団体「アムネスティ・インターナショナル」は、2015年に悪性リンパ腫で入院した山城被告の健康状態を懸念し、早期釈放を呼び掛けている。

 この間、弁護側は保釈を求めてきたが、那覇地裁は「証拠隠滅の恐れがある」と却下し、最高裁への特別抗告も2度退けられた。

 元東京高裁部統括判事の木谷明弁護士は「比較的軽微な犯罪で証拠隠滅の可能性は乏しい。もし心配なら条件付きで保釈すればいい。長期の勾留は適切ではなく『反対運動をつぶすためだ』との見方をされても反論できないのではないか」と話す。


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